カンボジアを旅して
カンボジアを旅しながら、いつも考えていたことがあります。それは、「どうして今、私はカンボジアにいるのだろう?」ということです。唯一、世界史で習ったアンコールワットの遺跡くらいしか、カンボジアに関する知識はなく、アジアのどこにあるのかさえも分からない私でした。最近はテレビ等で、カンボジアに学校を建てる支援とか、井戸を掘りに行くボランティア、地雷撤去の様子などがよく取り上げられていますね。でもそれは私にとって、遠いよその国の出来事でしかありませんでした。3人の子供がいて、しかもひとりは受験生で、仕事もあり、子供たちのお稽古事にも大忙し、それに旅行費用もかかるし・・・と、カンボジアに行けない理由は山ほどありました。ところが私は流れに流されるまま、さわやかな南国の風が吹く、カンボジアに立っていたのです。 カンボジアでは、朝4時起きで、現地の子供たちとのふれあいウォーキングに参加したり、有森裕子さんが10年以上も続けていらっしゃる、アンコールワット国際マラソンのお手伝いをさせていただきました。また、カンボジアからの留学生、スライミーさん、ソッキアさんのご自宅や母校の日本語学校を訪問させていただき、現地の人々や子供たちとの交流を楽しみました。アンコールワットの遺跡を観光したり、ショッピングを楽しんだり・・・日本人の私たちがクメール人のガイドさんにせかされるほど(笑)ハードなスケジュールでしたが、いつしか私たちの顔は、いつもとはまったく違う、「素の笑顔」になっていました。 欲しいものは何でも手に入り、家事は電化製品が何でもやってくれて、移動はほとんどマイカー・・・便利な生活にどっぷり浸っているうちに、本来持っている人間としての感覚だとか、感情とかが、どんどん鈍くなっていったのかもしれない!と気付きました。ガスも水道も電気もないのが当たり前のカンボジア、その緑豊かな自然のパワーが、私たちを本来の自分の姿に、素の笑顔に戻してくれたのです。美しいものが美しく見え、温かい心と心がかよいました。 そして、もうひとつ。私をカンボジアへと誘ってくれたものがあります。それは同行した校長先生の「良き思い」だったように思います。「親学講座」でカンボジアのことを学ぶきっかけとなったのは、カンボジアからの留学生の存在でした。日本で勉強するのが夢だったというスライミーさんは、当初、別の高校に受け容れてもらうはずでした。ところが「欧米人以外はいらない」と断られ、わが校の校長先生が全額負担でスライミーさんを受け容れたと聞きました。「欧米人しか要らない」=「自分たちが得をすることしか考えない」ということですよね。ところが、私たちがスライミーさんから学ぶことはたくさんありました。子供たちも変わりました。毎年多くの生徒が、タイ・カンボジア研修に参加しています。校長先生の「良き思い」から、人として何よりも大切な心が育っているんだな!と、とても嬉しく思います。自分探しの旅とか、癒しの旅なんてものは、私には必要がないわ!と思ってきましたが、同じ方向を向いた良き仲間に囲まれて、存分に癒された、カンボジアの旅でした。出発前には、自分たちがいかに恵まれているかに気付く旅になるだろうと予想していましたが、恵まれていること=必ずしも幸せとはかぎらない!逆に、不便で貧しい生活=必ずしも不幸とはかぎらない!ということを学びました。アンコールワットマラソンのゴール近くに、それは美しい、スイレンが咲き誇る池がありました。とてもこの世のものとは思えない美しさでした。「楽園はカンボジアにあり?」いえいえ、楽園はどこか遠くにあるのではなく、その人が「良きこと」を思い、「良きこと」を実践し、人々に喜ばれたなら、その場が楽園なのだと思いました。私の身近の楽園をたくさん増やして生きて生きたいと思います。↑↑↑私のブログで元気になれた方、応援したいなって思ってくださる方、クリックしてねっ☆ (*^_^*)