空海さんとヨガ(高野山3)
弘法大師空海さんのファンだと書きましたが、今まで、1つ気になっていたことがありました。空海さんが厳しい修行をされて、最後も即身成仏(生きたまま仏になる)されているということです。とっても苦しそうな生涯だと思って、ついていけないと思っていました。高野山は修行のお山で、ついこないだの明治まで女人禁制ですらあったのです。でも、今回の旅行で色々分り、イメージが変わりました。まず、先日書いたように、泊めて頂いたお寺の持明院さんが絢爛豪華なお部屋だったことです。女人禁制なんて言ってて、厳しい修行をしていたのかと思ったら、修行もあったのでしょうがあんな贅沢なお部屋で過ごしていたんですよ。それも、あんなに何十枚もの襖絵が寄進されるには、何百年もかかっているのではないかと思われました。宿坊でして頂いたお世話は至れり尽くせりで、修行っぽい所は全くありませんでした。現代だからということもあるのかもしれませんが、京都の智積院では全員参加の勤行に椅子の用意なんてありませんでしたし、連れて行った当時一年生のゴル吉が足を崩してお坊さんに叱られたものでした。持明院さんは勤行は自由参加だし、とってもゆる~い印象だったのです。食事は朝も夜もお部屋まで運んで頂き、お布団も敷いて下さいました。お正月だからとお風呂は24時間、三が日は朝食にお酒つきです。お料理は精進料理でしたけど。何だか、伝統的に高野山は山の上の憩いの場、保養所みたいな感じだったのではないでしょうか。でも、お寺がだらしなかったという意味では全くありません。お庭は隅々まで、表も裏も、小石の敷き詰められた上に荒い箒の目の模様がきっちりとつけられて、凛とした崩れのない折り目正しい風情なのです。にもかかわらず厳しい修業の雰囲気が感じられない安心感はなぜだろうと考えました。ぎゅうぎゅう詰めにお寺が並んでいる先の奥の院には、ありとあらゆるものを供養するお墓が並んでいました。初めの方で目に飛び込んできたのは「シロアリよ安らかに眠れ」という石碑。シロアリ駆除の会社が建てたもの。動物達を供養する墓もありました。ヤクルトとか、見知った企業が作った墓や、一般庶民のものと思われる墓も並んでいて、その奥にまた沢山の墓に混じって武田信玄、上杉謙信、石田光成、明智光秀、織田信長など、お互いに戦い合った武将達のお墓まで隣り合うようにして祭られています。徳川家はじめ、多くの大名家の墓も沢山並んでいます。その一番奥に、弘法大師の廟があります。生きとし生けるもの、シロアリから庶民から大名まで、ここには祭られています。もう、ここまで来ると、全てのものの平安を祈り、感じ、このお山は今更修行ばっかりする所では、なくなっていたのではないでしょうか。お墓参りをした時、死んでしまった者とその後に生きる自分を考えると、修行というよりは平安、安寧を求め、そういう宿が実現されてきたのではないでしょうか。そんな風に考えてしまうもう一つの理由もみつけました。今回の大収穫です。空海さんが開かれた高野山金剛峰寺の名前は「金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祗経」に基づいて命名されているそうです。ここに「瑜伽(ゆが)」とあります。「瑜」とは、美しい玉、玉の光、という意味。「伽」は「お伽噺(おとぎばなし)」のように、人の気持の退屈を慰めること、又、看病をすることという意味だそうです。瞑想つながりで読んでいた本にあったのですが、「瑜伽」は、中国語で「ヨガ」の意味だそうです。あの、色々なポーズをとるヨガです。ヨガも、色々なポーズをとって修行をすることよりも、その緊張を解いた時の瞑想の方が主体だそうです。中国語の漢字の意味から分るように、人を慰める事や美しい光を与えてくれる事の方が目的なのです。空海さんが高野山を修行の山とされたのも、結局修行そのものが目的なのではなく、その後に理解する慰めや喜びを教えようとされたのではないでしょうか。高野山は女人禁制の修行の山でしたが、厳しい修行の後に理解される美しい真実の方に本来の値打ちがあるとすると、女人禁制を解いた現在の方に、かつてよりも値打ちがあるに違いありません。瑜伽(ヨガ)は男性よりも女性の方に流行していますしね。奥の院:動物達の墓(撮影=ゴルリナ)