鎌倉・名越切通
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」夢の跡はないけれど、そんな気持ちにさせてくれる「名越(なごえ)切通」鎌倉七口の一つ。その中でも鎌倉時代当時のままの雰囲気が色濃く残っている唯一の切通し。正確には現代までの長い間に地震や災害により崖は崩れ道は埋まり、いま見られるのは江戸時代の切通しとのこと。それでも中世の頃を想像できます。鎌倉幕府が三浦半島の三浦氏から守るため狭くして、最も狭いところは90cm、人馬は通れたのだろうかと疑問に思うが、中世では2m70cmあったそう。(発掘調査で)いまでも狭く急峻な山道、ここを鎌倉武士や僧侶、農民、庶民らの往来は盛んだったとか。あの日蓮上人はここを通って鎌倉へ入ったとのこと。小坪のトンネルが開通する明治6年まで山道の街道として利用されていた。トンネルができて通る人はいなくなり、それが幸いしそのまま切通し姿が現代まで残されたことになります。