「パリ左岸のピアノ工房」
「パリ左岸のピアノ工房」を読みました。先を読むのが楽しみで、ページをめくるたびにわくわくする。 でも、読み終えるのが寂しくて、いつまでも読んでいたい気持ちになる。 お気に入りのケーキを、最後まで味わいながら食べるような。 そんな経験はめったにないけど 久しぶりにそういう感覚になれました。 今バリバリピアノを弾いている人、かつて少しでもピアノを習ったことがある人、または 大人になってからピアノを弾いてみたい、と思っている人たちへのプレゼントのような本パリ左岸のピアノ工房「パリ左岸のピアノ工房」 T.E.カーハート 村松 潔 訳(新潮社クレスト・ブックス) アメリカとアイルランドの国籍を持ち、パリで家族と暮らす著者は子どもの送り迎えのときに通りかかる小さな店がいつも気になっていた。 その店のウィンドウには、ピアノの部品とおぼしきものが飾られていた。 彼はその店が気になって、ある日とうとう中に入ってみる。 「中古のピアノを探しているのですが・・・」 でも、フランス人は「いちげんさん」には厳しい。 あいまいな返事でスルーされること数回。 そう、この店はとてもフランス的。 「お客が紹介してくれる信頼のおける人」にしか 本当の商売はしてくれないのだ。 それでも、やがて彼はその店のピアノ職人でもあり調律師でもある リュックと知り合う。 リュックが関心を寄せるのは、最新型の演奏用グランドではなく、 「とてもいい時期に作られた」過去の時代の、でも飾り物ではなく ちゃんと生活に溶け込んで奏でることの出来るピアノ。 プレイエル、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、スタインウェイ、エラールなどの名器の名前がずらずら出てくる。 読んでいるだけで、パリの住宅街の、ひっそりとした古いアトリエに、 窓から差し込む柔らかな光を受けて静かにたたずむ 黒く美しいピアノたちの姿が目に浮かぶよう。 この昔気質で、ピアノを心から愛する青年によって 彼は自分だけの「運命のピアノ」と巡り合い、昔習っていた ピアノのレッスンを、そしてやがてはピアノという奇跡の楽器そのものへの 深い知的探索と、自分や家族とピアノとの新しい生活を始めることになる・・・。 ピアノを習った人なら、きっと彼の記憶を共有できるはず。 小さな自分が、初めてピアノ教室でピアノの鍵盤に触れたときのこと、 初めてのレッスンのこと。 そして、発表会前の緊張感とパニック! 出てくる人たち(実在)も、とてもユニーク。 ほとんどホームレスみたいに、パリの主要駅に夜間停車している列車で 寝泊りしている、アル中だけど素晴らしい腕前を持つオランダ人調律師のジョス。 (この人が実在だなんて信じられないようなキャラです)そしてこのノンフィクションは同時に 「パリに住む外国人(ただし子どもの頃フランスに住んでいたのでおそらくフランス語はネイティブレベル)」だった著者が、本当の意味でパリ左岸住人のパリジャンたちの文化に溶け込み仲間として迎えられていく様子が見られる 「異文化体験」でもある。 一見堅苦しくなりそうなテーマに思えるけれど、 彼の(ノンフィクション)優しいフレンドリーな語り口で、 読者もいつのまにか「ピアノをめぐる旅」への扉を開いていく。 そして、ピアノにまた触ってみたくなる。 もちろん、大人になってからピアノを始めたい、と思った人にも とても素敵な世界への入り口になるに違いないと思います。