成瀬関次著『実戦刀譚』 - 「軍刀修理実施中に於ける観察考究の概略」 刀身 (330~333頁)
軍刀修理実施中に於ける観察考究の概略 刀身 刃疵につきては、些少のものありても各人はなはだ嫌うところなるが、今回刀身湾曲修正中區〔まち〕の辺に長さ六分巾二厘の横に疵のものあり、かなり激戦中に使用せる由なるが(磯谷部隊)この疵の部分には何ら故障なかりき。また、刀身に二ヶ所横切れあるもの、相当湾曲したるもまた何らの故障なかりき。右参考までに記述す。 刃欠損(刃コボレ)は、新刀以下に多かりき。在銘より無銘に、新刀新々刀よりも不良現代刀に多かりしが如し。刃コボレの巾広く、あたかも鑄鐵の欠け口の如く見えしものは、焼き巾広く錵粗く鍛錬粗略の感じのものに多かりしが如し。身巾広く重ね厚く刃肉蛤にもり上がりたる新刀祐定にて、鐵条網を切断せりという者あり。(磯谷部隊某将校)小刃コボレ六ヶ所ありたるが、後にて出来し巾二分ほどのものは、戦闘終了後試みに鐵条網を切断して出来しという。敵を斬ること無数、今は中隊の宝となり居れりという刀を見たるに、(西尾部隊下士官)身巾せまく、重ねは厚き古刀なり。刃コボレは巾一分深さ二厘ぐらいのものと粟粒ほどのもの二つありしのみ。機関銃弾丸が木鞘にあたり鞘やぶれて刀身にあたりたるものあり。その部分一銭銅貨大に凹み刃の部分は三分ほど外側にの如く凸出したるものありしも、(磯谷部隊某将校)刃コボレなし。無銘の古刀なり。現代刀中新村田刀には刃コボレ少なかりしも、切れ味は一般に劣れり。某部隊長(磯谷部隊)は、軍刀破損しやむなく指揮刀代わりの新村田刀新村田刀にて敵数十人を斬りたり、 一般に、戦うに最適の日本刀の標準として、長さ二尺三、四寸、反り四分五厘乃至六分の間、身巾一寸一部内外、横手のあたりにて七分乃至八分、重ね二分乃至二分五厘、切っ先の長さは一寸乃至一寸五分、重量二百二十匁内外、柄八寸以上、振りて先のあまり重からざるものとの衆評なり。(各部隊青年将校) 軍刀修理中の実際に徴するに、白兵戦その他の戦闘において損傷せるものは約三割、馬上及び徒歩行軍中における動揺、雨水の浸潤、時間的経過による手ずれ等の衰損約三割、その他約四割は、左の原因によりて損傷せるものと推測せり。 第一は、日本等研磨の労苦を知らず、僅々〔きんきん〕数時間にして明晃々たる研磨を見得るものにして、一点一抹の錆の如きは、その局所のみを研磨すれば直ちに清澄〔せいちょう〕一点の曇りを止めざるに至るべしと思惟〔しい〕し、自然降雨中にこれを使用するも、よく拭磨油引くことなくして鞘に納め、敵を斬りたる直後の処置また宜〔よろ〕しからず、一夜にして赤錆を生じ数日を経て固着し腐蝕を生ぜしめたるの類多し。刀剣の研磨は鍛法と共に我が國独自の技巧にして、これを研ぐに七種類の砥石及び磨き粉を要し、二尺三寸の刀にありては、本研四日を要す。わずかなる一点一抹の錆を除去するのみにても、もとの光鋩〔こうぼう〕に戻さんがためには、刀身全身に錆ある刀を処置するのと同一の労を要するものにして、古来如何なる名工と雖〔いえど〕も局所のみ研磨に成功せる例なきほどのものなり。軍刀使用者にしてこれらの労苦を知り、保存手入れの一般方法を知り置かれたらんにはと思われし事度々なりき。 第二は、日本刀の性能を知らぬものの多かりし事なり。元来日本刀は敵人を斬るを第一要件として設計されたるものにして、かの兜を切り鐵を断つの類は、特殊なる利刀と特殊なる技能との一致してなせる業〔わざ〕たるものなるに、一般日本刀を以て、居合術据え物斬りの素養なき者が、ただ力量にまかせて、太き立ち木を伐〔き〕り、厚き鐵板を割りつけし結果、再び使用し得べからざる状態となしたるもの、比較的多かりしは遺憾にたえざる事の一つなりき。 第三は、日本刀の尊き伝統を知らず、またこれを汚所に置き、脚下にて踏みて平然たるものも時々見受けたり。日本刀の伝統、鍛法研磨の大略、性能、使用法、保存手入れ法等は、武術科の学科中に含めて充分これを悉知了解〔しっちりょうかい〕せしめ置く必要ありと思料せらる。けだし、愛刀の精神を涵養〔かんよう〕する事が、日本刀の効果を発揮するの第一歩にして、愛刀の精神はまず日本刀を知る事によりて、その根幹を培〔つちか〕い得るものたるべく、将来軍の幹部たるべき者に対しては、日本刀に関する講述をなすと共に、鍛錬所、研磨所、陳列所等を実地見学せしむる事は、教育上また必要ならずやと思料せらる。ー 終 ー