母校へ
3人目の指導教員である恩師……と書くと、なにやらケンカ別れな風情も感じられるが、私の学部時代からの指導教員は4名。それぞれ円満な関係でありながら(と思うのは自分だけ?)、諸般の事情で書類上の教員が変わっていった学生時代だった。 最初の先生は私の学部4年の時にご逝去、2人目・4人目の先生は既に退職、そして今日、3人目の先生が退職前の研究発表。 かつては麗々しく“退官講義”と銘打った講義が積極的に開かれた母校だけれども、最近の傾向なのか退官講義(もう独立行政法人だからこの言葉も使わないか)は行わないで、学内の学会での記念講演の形になっている。 平安末期の一歌人の家集における伝本研究。若い頃には軍記の研究で活躍された師匠であるが、このところは主に家集の伝本の研究をしてきたので、講演も自然とそういう研究テーマになったようだ。 ガチガチの文献学的研究、それは「文学とは……」ってグラス片手に(←でも量は減らない)語りながら夜を明かすのとは趣が異なるけれども、これはこれで体力の要る仕事なのである。佐藤は文芸学の世界に遊ぶこともちょっとかじったけれども、こういう研究方法を院生の時に学び、東北から九州まで写本を見に行く経験をすることができた(もちろん今でも行くが)。こうした研究方法を基にした論文で大きな学会に発表できたのも、お師匠のおかげである。 久しぶりにお目にかかれる先生方や同窓生とも飲め、楽しい話も伺う。 現役の学生とはほとんど話ができなかったのが、ちょっと寂しい感じがする。院生の体質が変わったのかなぁ。 いずれにせよ、様々な意味で大きな大学なんだなぁと、浅草駅で1人になってからシミジミした。