飛鳥井様
インカレは個人戦が残っているけれども、事情があって一足早く帰京。帰宅すると大きな荷物が届いていた。『筑波大学平家部会論集』第12集だ。12集の下にカッコ書きで“終刊号”の文字が。佐藤がここの大学にお世話になったときには第2集だった論集が、“12”という平家的に意義深い数字で閉じたわけである。 お師匠の元でメンバと読んでいたのは部会の名称通り『平家物語』。当初は覚一本(古典大系本)で、それが終わると遠距離通学者にして病み上がりの誰かさんのためか、ひらがな百二十句本(古典集成本)へと引き継がれていった。ん~、確かに「小さいサイズの本がいい」などと主張した気もする……。 ここで初めて発表の場を与えていただいた宗尊親王の論文は、ツクバという世界を大きくはみ出していった。勿論自分の論考が優れていたわけではなく(今読み返しても「あちゃ~」と思う)、それはここの論集のブランドゆえなのであるが、様々な先生から身に余るお言葉を頂戴した。この時の拙論を御覧になって、小学館の辞典編集室で御所蔵本を貸してくださった先生、遠い地から宅配便で御所蔵本を送ってくださった先生もいらっしゃる。いずれも「見せてください」などとお願い申し上げる前に、「これも見なさい」と貸してくださったのであった。これは一介の大学院生としては奇跡的なスタートであり、それは偏に『部会論集』執筆者という通行手形を持ったからに他ならない。他にも、この論文を通じて広がった輪は極めて大きい。 今回もそういう気持ちを思い出して、宗尊親王のものを書こうと思ったのだが、それとは別の思惑でどうしても書きたいものがあり、そちらを書くことにした。タイトルは「飛鳥井雅有の奈良・伊勢逍遙―『仏道の記』の作品化について―」。構想を練ったのは12年前、3部作がこれで一応完結したことになる。 手元に届いた論集を拝読すると、やはりお師匠のカラーでの手堅いアプローチが多く、末席に名を連ねた自分としては、そうした方法で書きたかったなぁ、などと思ったりもするのだが、佐藤なりのけじめとしてこの論文で良かったと思っている(難産だったけど)。