コロナ禍での生活も2年目。
5月17日(月)の深夜は暗いです。この時間帯であれば当たり前なのですが。どうも休日に家から出ないで過ごしていると、適切な運動が出来ないせいか・・長い時間眠ることは出来ない様です。「不要不急」の外出を控えても、この1年半のコロナ禍は激変する様でもないですし、そもそも「不要不急」の解釈はひとそれぞれで「運動しなければいけない」のは「不要」に入らないのかもしれません。一方で「親の死に目に会えない」のを「不要」と考える方がおられるもおられるかもしれません。然るべき役割の方からの具体的な例示があやふやで、集団全体が限定された一方向に進むというのは容易ではありません。現在の生活の変容を余儀なくされて久しいのですが、「もう限度」という声を聞くと、「気持ちは分かる」と即応したくもなります。県外へ日帰りで出かけて「明日からまた自粛」というのも、軽率に聞こえるかも知れませんが、分からなくもありません。もう1年3ヶ月の間、帰省や旅行はおろか、外食・コンビニやスーパーにも立ち寄らずに食事は週1回の宅配、日々の生活は自家用車での職場との往復のみ・・とこんな生活が健康的かどうかは言うまでもありませんが、今に至るまで続けております。マスク着用や1日数十回の手洗いや手指消毒も基本的な所作ですね。決して他人様に同じ考えを強いるつもりはありませんが、万が一新型コロナに感染した際に「もっと~していれば良かった」と後悔しない様に、周囲の人々への迷惑だけでなく自分の生き方を恥じることのない様に、また数時間後から粛々とすべきことをこなしていくという生活を続けていこうかと思っています。そんな生活を送っていると、現状のコロナとの戦いの中で「平和の祭典」の開催にはおおよそ同意しかねます。そもそも、こんな世の中をどこの誰が「平和」などと感じるのでしょうか。海外渡航者の一時隔離をもってしても「変異株」とやらが潜在的に出現していることは現状での「水際対策」が如何に甘いのかを露呈しているかに映ります。いくら国内での行動範囲を無くすことが出来ても、海外の人間が入ってくること自体がリスクになり得ると考えることも出来ます。「予防接種」(とやら)を関係者全員に行えば良いという意見もありますが、そもそもこの「予防接種」も非常に短期間で作り上げられたものであり、長期はいうまでもなく短期ですら効果は不明といわざるを得ません。第一、普段から「ドーピング」問題で成績を剥奪される様な選手も散見されるところ、今の様な「非常時」ではこの「予防接種」は「ドーピング」には相当しないのでしょうか。「サプリメント」という部類のものですら国によって許容範囲が異なる実情からすると、解釈も様々でしょうし、「副作用」による懸念から「予防接種」を積極的に受けたくない選手も居られるかもしれません。開催地である東京はおろか、福島・札幌でも感染者数のこの数週での増加も見逃せません。この様な地に喜んで足を運ぶ選手団なのかどうか、また狭い日本国内とはいえ相応のヒトが移動することで開催地での感染の悪化や医療体制の崩壊などの良くない方向への対策も十分に吟味する必要があるものと考えます。勿論、参加される選手団の方々も感染する可能性があります。参加選手の方々に「自粛しろ」というのはさすがに筋違いであると思いますが、しかし控えめに言ってもコレがないと「死んでしまう」というほど、オリンピックは社会に欠かせないものではないのは事実です。長期にわたり解除しきれていない都道府県での医療機関の拡充の方がよほど急務ではないでhそうか。また、命のtriageも我が国で現実的なものとなりつつあります。もし参加する海外の有力選手か地元の高齢者のどちらかで片方で、ひとつの人工呼吸器を選ばなければいけない状況になったら、誰がどう公正に判断するというのでしょうか。そして、その判断は誰にも反論されないというものなのでしょうか。コロナに限らず、自分の生命がいつ途絶えるのかは誰にとっても分かりえませんが、だからこそ決して刹那的でない前向きさをもって、そしてひとりよがりしない生活を送る必要が少なくともこの先数年はあるものと予想します。そうはいってももう既に1年半経っているので、あと5~10年くらい先を見越して日本社会を俯瞰する(特定の何処かに加担しない)リーダシップを持つ首長の登場に期待したいものです。・・まあ、現実的には難しいでしょうけれども。