「中国製品が怖い」、これは中国にとって怖い事。
中国の食品から日本で使用が禁止されている残留農薬、歯磨きから有毒物質、玩具の塗料から有毒物質、微量であるために、すぐにはどうの、こうのということはないが、改めて中国製品は怖い、ということが実感、ヨメにいわせると、食材で中国製の表示のあるものは絶対に買わない、肉も米国産のものは買わない、ということらしい、うちのヨメの場合は、こういうことは科学的な裏づけではなく、怖いという、一種の迷信のようなものである、オレが繊維製品のメーカー時代、確かに中国製の繊維製品が日本の市場に出回りだした頃は、不良品が多く、縫製もヘタクソ、レベルの低い商品であった、中国製品は粗悪品である、という迷信のようなものが先に根付いてしまった、繊維製品の国内製品はというと、工場の人達の新陳代謝ができず、若い人達が縫製工場に務めることがなくなり、縫製工場に勤める人はそこそこの年齢の人達ばかり、縫製の技術が伸びどまり、それだけではなく、老眼の人達が多く、天気の悪い日の午後、黒い糸での縫製がグ~ンとペースダウン、黒の布地に黒い糸、縫えているのか、いないのか見えない、糸切れを起こして、その時にミシンの針穴に黒い糸を通すのに一苦労、技術的に衰え始め、ミシンも工場には設備投資の余禄がなくなり、古いおんぼろのミシンばかり、技術のレベルが上るよりも、むしろ下降気味、1980年代の中国の繊維製品は、中国で検品済みの製品を、日本国内でもう一度再検品してから市場に出されていた、中国人の工場長にいくら説明しても感性の問題で日本国内で行われている検品作業を実施するのには限界があった、しかし安い労働力は魅力、そこで日本人の工場長が中国の工場の工場長として赴任し、目を光らせ、直接指導する事で、長い歳月をかけて漸く日本の国内産のレベル近くまで達するようになった。 1990年代に入ってから、日本の国内産のレベルは下降、一方中国は設備投資が活発で、最新型のミシン、若年のミシン工も多く、日本人の工場長が常時技術指導、日本国内産の製品と中国産の製品の品質が同じレベルになりかけた、ところが、そこに生きていたのが、素人の消費者が持つ、「中国製は悪い」、とい迷信であった、これを覆すのに長い年月を必要とした、今現在でもこの迷信、「中国製は悪い」、ということが生き続けている、今立て続けに起こっている、中国製品に含まれる有害物質・有毒物質、あっという間に、「中国製品は怖い」、というイメージ、このイメージが迷信になるのには時間が要しない、もし日本製品にこういう事が多発し、この事に関してテレビクルーなどにマイクを向けられると、まるで申し訳なさそうに、「ごめんなさい」、謝ったり、他人事ではない深刻なコメントをするであろう、しかし中国の人達にこの事をどう思うかというインタービュー、「どこかの国が中国を陥れようとしている、デマだ」、というコメント、ただでさえ一度こういう迷信のようなものが出来上がってしまうと、これを打ち破るのには長い年月と、大きな労力と、安全だという実績、国内の消費者の厳しい目とチェック必要になる、中国の消費者の自国製品に向ける目、どうもこれはあてにならないような気がする。 中国のシンセンへ20年ほど前にっている、その時貿易センタービルの外国人用のエレベーター乗り場に、背の高い若い中国美人、にこやかな笑顔でお出迎え、大きな襷をかけている、そこには、「微笑歓迎」、と書いてあった、こういう事をキャンペーンにしなくてはならない国、愛想の良くない国なんだと実感、デパートのエレベーターなどで、エレベーターがつくと、ドッと我先に乗り込む、しかも咥えタバコや火のついたタバコを持ったまま、それとどこでもかしこでも滅多やたらとツバを吐く、こういうマナーは良くない国、北京オリンピックを控えて、この時には大勢の外国からのお客さん、その時に備えて、中国人のマナー向上のために、微笑歓迎、割り込み禁止のキャンペーンの最中と聞く、敗戦から15年、1960年の東京オリンピック、今の中国の人達よりも、こういうマナーの点に於いて、何処の国と比べても、余り恥ずかしくないレベルに到達していたように思う、中国は国の経済発展に民意がついていけていないようである。 ■「今日の言葉」■ 「 素直に認める勇気がないと 欠点はなかなか改まらない 」 (自然社・平成19年・新生活標語より)