10月22日は、「時代祭」。
京都3大祭りの最後の時代祭が10月22日に開催、ここ数年は行列を見るというよりも午前10時頃の御所について、この行列は先頭が明治維新、そこから時代を遡っての行列、出発地点の近くには明治維新の時代行列に参加の人達から、行列の順に広い御所の中で三々五々、その時代の衣装を来た人達が集合、行列に参加の人達も多いが、行列に参加の馬も多く、こういう行列に慣れた馬を、四国や山口あたりまでから調達、夜どうしかけて馬運車で運ばれてきた馬達は疲れと睡眠不足、しきりに居眠りをする馬達もいて、見物に来た人達はそんな事はお構いなしに馬の横で記念撮影、そんなコンデションの悪い中、時間が来れば出発、急に大勢の見物客、歓声も上る、カメラのフラッシュが一斉にたかれる、馬も動揺してイライラ、馬の歩くペースで前に進めればいいが、少し進んでは、立ち止まる、それの繰り返し、時には気性の荒い馬は、イライラが爆発、暴れたり、乗っている人を振り落としてしまったり、それを知っている人も多く、馬の鼻面を撫でながら、「今日は大人しく歩くんやでェ!」、と声をかける人も。 出発前にここへ来るのは、行列の時は前をス~と通り抜けるだけだが、ここでは各時代の衣装を着、綺麗に化粧をした女性達が行列が始まるまでの間、しばしののスタンバイ、皇女和宮、淀君、出雲阿国、吉野太夫、常盤御前、静御前、横笛、紀貫之の娘、紫式部、清少納言等々、こういう人達のまわりには多くのアマチュアカメラマンが取り囲み撮影会、京都の花街の綺麗どころの人達が輪番制で受け持つ平安時代婦人列は大人気、中でもこの行列でただ1人、女性で白馬にまたがり巡行する巴御前は一番の人気、一番最後に大型のタクシーで到着、お馴染みの贔屓のお客さんも大勢待ち構えている、そういうお客さんと一通り並んで記念撮影、それが終わると、髪の毛や、化粧直しを少しして、その後は、アマチュアカメラマンの、「こっちを向いて」、の声に快くニッコリ笑って、ポーズ、そんな巴御前も、白馬にまたがる時には少し緊張の面持ち、数人の手助けで漸く馬上の人に、長刀を手にし、背筋をピンと伸ばすと、もうすでに凛とした、凛々しい尼将軍、馬も気配を察するのか、気合十分に前足のひづめで、砂利を、カッ、カッ、カッツ、とかき鳴らす、巴御前は馬の首筋を優しく撫でながら、「今日は、よろしくね」、と声をかけると、首を上下に振りながら急に大人しくなる、馬もようくわかってるな、数年前の行列の時に、御所を出発して間も無く、巴御前が乗った白馬の体調が悪く、倒れて、巴御前に幸い怪我も無く、代わりの白馬にまたがって、平安神宮までの行列を終えたということもあった、葵祭の時もそうだが、パトカーで盛んに、「馬が驚いて暴れますので、カメラのフラッシュ撮影はお止めください」、と盛んに、むしろ神経質なほど呼びかけている。 お祭の時には好天が望ましいが、出発前に御所で白塗りの美人達の撮影の時には、天気がよすぎるとコントラストが強すぎて、苦労する、明るい目の曇り空、こういう日が一番コンデイションが良い、今年はこの日を休みのシフトに組んでいる、この時代祭りに室町時代が抜けていた、足利幕府が出来た時の足利尊氏と後醍醐天皇の経緯、その遠慮があって行列には長い間、抜けていたが、今年から室町時代が行列に参加すると聞く、室町時代は京都に縁の深い時代、金閣、銀閣に代表される東山文化の豪華絢爛の文化の遺産、もう一方では京都の都を壊滅的に焼き尽くし、破壊しつくした長い戦、応仁の乱、この戦に全国から馳せ参じ、そのまま郷土に戻ることなく、京都に住みついた全国各地の多くの人々、その人達を受け入れた事が、室町時代の末期、群雄割拠の戦国時代、江戸時代、の長きに亘って都であり続けた、都としての強かさの原動力にもなっている、そんな縁の深い室町時代が時代祭に登場、100年以上もこの室町時代の行列が無しで、この祭りが行われていたのも不思議といえば不思議な話であった。 ■「今日の言葉」■ 「 我儘が通るということは 決して幸せではないと知ろう 」 (自然社・平成19年・新生活標語より)