躾の四方山話。
我が家の浴室、冬になると脱衣場も浴室内も物凄く寒い、だからお湯は熱い目にしている、これは血圧の高い者にとっては良く無い事で、2年前の正月明けのある日に、仕事に出かける時に家のすぐ傍のお地蔵さんの水を替えていた斜め向かいのお婆さん、「おはようございます、いつもどうも有り難うございます」、と声をかけて、その日の夜に仕事を終えて午後9時前に帰宅、ピーンポーン、と玄関のチャイム、「警察ですが、夜分恐れ入りますが、少し伺いたことがありまして」、下へ降りて行き、玄関のドアーを開けると警察官が2人、「午後8時頃に大きな声や、いさかいの声を聞かれませんでしたか?」、「その時間は仕事中で」、1階から2階のヨメに聞くが、別に何も聞いていないという返事、警察官に何があったのかと聞くと、「斜め向かいのおばあさんが入浴中に倒れて、すぐに救急車の手配、救急車が到着した時にはすでに亡くなっていて、事故か事件かを調べているところです、そのおばあさん心臓の持病があり、寒い脱衣場で服を脱いで、浴室内も寒く、血管がギューッと収縮していて、その後に暖かいお湯の中、収縮していた血管が急に拡がり、一気に心臓へ流れ込み、そのために心臓発作、心筋梗塞のファーストアタック、これが命取りという事であった、余りにも身近にこんな事が起きて、脱衣場にストーブを置くようになった。 冬場に孫と一緒に風呂に入る事もある、オレが風呂に入る時のお湯の温度と、孫が風呂に入る時のお湯の温度に開きがあって、孫にとっては熱いわけである、足の先だけをチョッとお湯に入れて、熱さでオレの腕に必死で、ベソをかきながらしがみついてくる、「熱いお湯で無いと風邪を引くから」、といっても、まるで小猿が親猿にしがみついているようである、仕方なく水を入れてお湯の温度を下げて、漸く湯船につかる、新聞紙上を幼児に熱湯を掛けて火傷をおわし、虐待死の事件が報道される事がある、風邪を引かせないために熱くしたお湯でこの有様である、幼児は5、6歳までに親の顔を見て、心の底から信頼して笑顔を振りまく、これが親孝行である、親はこれ以上の事を臨むのは贅沢でもある、幼児が一生分の親孝行をしようという時期に、熱湯を浴びせて火傷を負わせたり、死なせてしまう、鬼か悪魔のなせる業であり、哀れで、不憫である。 自分の子供のしつけ、上が男の子、天真爛漫といえば聞こえはいいが、落ち着きのない、ザワザワとした子供、口で言ったぐらいではいうことを聞かない、5歳くらいの頃から、「パチン」、と平手打ち、それでも懲りずに、また平手打ち、「パチン」、小学校に入学した頃、ほっぺたに手形をつけて登校、担任のベテランの女の先生が、その手形を心配して家に電話、「家で何かありましたか?」、電話をヨメから代わって、「昨晩、言う事をきかないので平手で叩きました、これから当分の間はほっぺたに手形をつけて学校へ行く事があるでしょう、心配は無用です、叩く親のほうの胸が痛いです、話をしてわかるようになれば、話をします、それまではもう少しの間は叩かなければわからず、叩くでしょう、ご心配なく、電話有り難うございました」、「わかりました、早く話をしてわかるようになれば良いですね」、という事で電話が終わった、小学校の3年生くらいまでは、叩いてわからせようとした、小学校の4年生以降は、叩く事はなくなり、話をする事によって、殆ど全ての事が解決するようになり、叩く事はなくなった、口答えをしたり、反抗的な態度をとることもなく成人に育った、だから男の子は叩いてでも躾をする、そう思い込んでいるフシがある、しかし孫となると叩きたくない、また付き合いの密度の影響でそういうことが無かったのだが、小学生になってから、家に遊びに着ていて、父親に叱られると、「お父さんなんか嫌い、帰ってくるな、お父さんなんか要らない」、と言い出す、息子はそれを聞いていて声を荒げる事も無い、尚も、「お父さんなんか嫌いだ、帰ってくるな、出て行け」、と泣き叫ぶ、そこで子供といえども言って良い事と、悪い事がある、孫の胸倉をつかんで、「お父さんに謝れ」、と大きな声を出す、こういう怒られ方をしていない、だから余計にパニックになって、さらにエスカレートして泣き叫ぶ、「ジィジィなんか怖くない」、「怖くなければ泣くな」、といって頬を平手打ちにする、平手打ちにも免疫性が無い、余計に大きな声で泣き叫ぶ、「もう、遊びになんか来ない」、「もう来るな」、パチン、という具合になる。 テレビなどでも子供の虐待の阻止のコマーシャルも流れている、隣近所は漸く子育てを終えたばかりという家が多く、少々孫が泣こうが、喚こうが、「怒られているな、家でもつい最近まで、あんなだった」、別段、児童相談所に電話される事は無い、孫が帰った後で、ヨメが、「近所の人が児童相談所にでも、電話をしやはったらえらい事よ」、「確かにな、児童相談所も最近は明らかな児童虐待のシグナルを発信されていて、児童の命を救う事が出来なかったということがよくあるからな、孫の躾といっても信じてもらえないかも知れないな」、「そうよ、孫に向かって、生意気な口を聞いたら承知せんぞォ~、・・・・・すぞォ~、は良くないよ」、「わかった、気をつける」。■「今日の言葉」■ 「 きちんとした躾が土台となって 子供の個性が輝いてくる 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)