紅葉の嵯峨野路(下)
(昨日の続き)石畳の愛宕街道の登り坂、両側には柱を黒く塗った瓦屋根のどっしりとした古民家が並び、土産物店、民芸品店、陶器店、茶店、キョロキョロはするが店の中に入ってひやかしはせずに通り過ぎていくと、ここでは珍しく紅がら格子の土産物店が見えてくる、そこから化野念仏寺は一段高いところにあり、そこへの石段が始まる、その登り口のもみじも鮮やかに紅葉していて、石段の途中で振り返り、紅葉しているもみじを上にして、愛宕街道とその紅がら格子の土産物店を写す、数年前から紅葉の時期にはここに訪れていて、この辺りで写真を撮っているが、これだけ鮮やかに紅葉しているもみじを入れてとるのは初めてのような気がする、入り口の小さな山門の向うに、境内の紅葉が見えてくる、石段と山門とその中の紅葉、手前の建物を額縁にして、その中の紅葉の絵、好きなアングルで、今年になってからも数枚撮っていて、今日もすでに数枚撮っている、この石段を上る時は妙にドキドキしながらが登っていき、小さな山門をくぐると目の前に鮮やかな紅葉が広がる、そして周りを石塔で四角く囲まれた、数千体、いや数万体の石仏、長く風雨に晒された石塔と石仏、その周りを取り囲むように、色とりどりに、鮮やかに紅葉したもみじ、色のコントラストだけではなく、生と死のコントラストを、無表情な石仏とやがて散り行く、ほんの少しの間の鮮やかな紅葉、この極端なコントラストを描き出した風景、これが毎年ここへ足を運ばせるように思う。 この地は克っては西の果ての地で、葬送の場であった、古くはまさに骸をこの地に投げ捨て、朽ち果て、烏に啄ばまれて、やがては土に帰る、風葬であったが、いつからか土地に埋める土葬となり、埋めた場所の目印代わりのその場所に石塔や石仏が置かれるようになり、大雨で流されたり、土で埋まったり、雑然としていたのをこの念仏寺が建てられて、1ケ所に纏められた、おびただしい数の石仏、しかしこの石仏の数の数百倍、数千倍の人のなきがらこの地で葬送された、周りに植えられたもみじはその事を知ってか、知らずにかは定かではないが、毎年秋のこの頃にひときわ真っ赤に紅葉するのであろう、農家のように見える寺務所、その前に大きな床机が2つ置かれていて、そこには陶器の大きな灰皿が置かれていて、書いてはいないがここが喫煙所兼休憩所、いつもここで床机に腰をかけて、タバコに火をつける、前に枝垂れ桜の木があって、その向うに鐘楼、この鐘楼の下が、石塔に四角く囲まれた石仏が安置されている、「賽の河原」、の入り口で、ここでは、「西院の河原」、と書かれている、この入り口の向うにもみじの木がある、そこに番をするように大きい石仏が置かれていて、この石仏の横から、その向うにもみじ、何度訪れてももう枯れてしまっているか、まだ紅葉していない、今年になって真っ赤な紅葉のもみじを背景にした石仏を漸くカメラに収めることが出来た、例年ならここから引き返すところだが、ここからほんの少し先にある愛宕神社の一の鳥居の脇にある、創業400年余り、江戸時代から営業を続けている大きな茅葺屋根の茶店、平野屋がある、今年はそこまで足を延ばす事に。 念仏寺の横の急な石段を下り、石畳の愛宕街道に出る、念仏寺までは、瓦屋根の柱を黒く塗ったどっしりとした古民家が建ち並び、念仏寺から愛宕神社の一の鳥居までは茅葺屋根の古民家が建ち並んでいて、ひときわ存在感を放っているのが古い茶店の平野屋である、オレと同じようなアマチュアカメラマンが店の前に群がっていて、テレビの取材班もいる、平野屋の古い暖簾の前の緋毛氈を敷いた床机に腰掛けている、ネイビイ色の上品なパンツスーツ姿の細いふちなしフレームの眼鏡をかけ、にこやかな笑顔を浮かべた中年女性が腰をかけていて、茶店から出されるお菓子を食べるところ、アッ、黒田福美や、とカメラを向けると、テレビ撮影の助手が、たしなめるように、「撮影中です」、言われなくてもわかっている、邪魔にならないように撮っている、こういう時には、「スミマセンが」、と断るモンや、テレビの取材撮影、ン~、何様や、街中ならイザ知らず、こんなところまで来ているこちらのことを考えろ、と思っているところに、「スミマセン、シャッタを押してください」、リュックを背負い、眼鏡をかけた韓国の女性が声をかける、「あ、あ~、良いですよ」、いいデジカメの一眼レフ、モニターではなく、ファインダーをのぞくように切り替えている、「鳥居も入れるのかい」、「ハイ」、「もうチョッと前へおいで」、「よし、よし、韓国ではなんと言うのかしらないけど、ニッコリとな」、意味が通じたらしくニコッ、そこでシャッターを押す、ただシャッターを押すのを頼まれる事も多い、少しむかつくのは、モニターで写した写真をチェックされる事、「もう一枚撮ろうか?」、「きれいに取れていますので、ありがとうございました」、と足早に去っていった。 昔は家の台所に、「おくどさん」、というのがあって、ここで薪などの火を使ってご飯を炊き、湯を沸かし、煮焚物をした、そして昔の家は隙間が多く、風の強いなどには家の中に隙間風が入り、このおくどさんの火を消したつもりがその風でまた火がいこりだして火事になることも多く、火の用心に心がけていた、注意していてもおきる可能性がありそこで、そこで神頼み、この台所のおくどさんのそばに、「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は殆どと言ってよいほど京都の家庭の台所に貼られており、飲食店の厨房や会社の茶室などにも貼られている、古より参拝のお客さんで賑わい、嵯峨鳥居本辺りには茶店などの休憩所が出来ており、昭和4年から昭和19年まで、電車とケーブルカーに乗り換えて頂上まで登れ、ホテル、遊園地、スキー場まで出来ていて、今の比叡山に山頂のようであったが、戦争の激化と共に鉄の供出のために廃線になり、現在では夜は電気もなく、飲み物の自動販売機が在るだけになっている、清滝トンネルなど幾つかの当時の遺構が残っているのみであり、インターネットなどで僅かに往時を偲ぶことができるが、実際の乗った事のある人の話しを聞こうとするがいまだに聞けていない、幻の鉄道でもある、ワインレッドのレンタルの着物を着た女性が、風で舞い落ちるもみじの葉っぱを見上げたところ、この写真は来年に持ち越し。■「今日の言葉」■ 「 物を大切にする暮らしの中に 心豊かな生活がある 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)