雨の日にバス通勤は憂鬱、つい、バスでの愚痴話。
雨降りの日の仕事場へのバスでの2往復は憂鬱、ついつい、バス通勤の愚痴話。 フルタイム勤務の日には1日にバスに4度乗る、朝7時過ぎのバス、夜の8時過ぎのバス、この時は殆どの人が通勤の人、車内でいつも利用する人同士の暗黙のルールのようなものがある、自分の降りる1つ手前の駅が過ぎたあたりから降りるために降り口の近くに向かっている、1番降り口に近い人から順に次の停留所で降りる人は、進行方向に向かって身体を正面に向けて立っている、しかも両替機の前に立って、両替をしようとする人にそれ塞いで、両替の妨害をしないようにしている、又非常に乗り心地の良くない、余り乗客に優しいとはいえないノンステップバス、前輪のところの通路が狭くなっている、ここの両側に人が立つと通りにくい、だからここの片側に人が立っていると、次の停留所で降りる人以外はここにはなるべく立たないようにしている、ここの両側に、しかもリュックを背負ったままに人同士が立ってしまうと、通ることが出来なくなってしまう、通勤に両手の自由が利くリュックを利用の人もおおいが、バスに乗ると通路を通る人のことを考えて、肩からはずし、脇に抱えるか、手に持つようにしている、つり革を持って立っている人も、後ろを人が通る時には通路を開けるように少し身体をずらし、通路を通りやすくし、又通路を通る人も、身体がぶつかったりしないように、人の背中を押さないように、スルリと通り抜けるように通る この時間帯のバスにはこういう人たちが多く乗っているので、乗っている間に余りイライラする事は少ない。 ところが午前中の勤務が終わって家に戻る為に12時過ぎのバスに乗る時と、夕方の勤務に出かけるときに午後の4時過ぎにバスに乗る時、この時間帯はそうはいかない、私立小学校への通学の子供、この子供達が10人ほど乗っていると兎に角うるさい、恐らくこの子供達は家に帰ると、英会話、スイミングスクール、バイオリンやピアノをはじめその他の楽器など、その他の習い事や塾のスケジュールが恐らくギッシリ、遊ぶ時間など殆ど無いのだろう、学校からの帰りのバス、彼らにとっては貴重な友達との遊びの時間なのだろう、気持ちは分からなくは無い、しかし、ワイワイ、ガヤガヤ、席を移動しあってふざけあい、そこへ持ってきてバスの荒っぽい、下手な運転、子供達はよろめいてぶつかってくる事もある、思わず、「コラ~、静かにせんカイ!」。 中学生や高校生の運動クラブの学生、大きなショルダーバック、通路のど真ん中や邪魔になる場所にポイ、降りる時に邪魔になるから、見かねてその大きなショルダーバックを通路を通るついでに脇に移動させると、無神経というか鈍感というか、知らん顔の学生が殆ど、たまには、「何をすんねン、このオッサン!」、といわんばかりに人の顔を睨みつける者もいれば、極々希に、本当に希な事だが、「スミマセン!」、といわんばかりに頭を少し下げる者もいる、昔オレ達の頃には行き帰りのバスや電車の中でも、爪先立ったり、揺れる中でバランスをとって足腰を鍛えたりしてトレーニングをしたりもした、又少々トレーニングでへばっていても、帰りの電車やバスの中で、そんな素振りを見せずにしゃきっとしている、これも一つのメンタル面のトレーニングと座ったり、もたれたり、寄りかかりたいのを我慢をした、どうもトレーニングは練習の時間だけと考えているフシも有り、周りの事や周りの人に無頓着、無関心、無神経過ぎるような気がする。 バスの中のマナーの悪さは若い人たちだけではない、昼間の時間帯には圧倒的に乗降の人数の多いお年寄り、敬老パスを持参している人達、この人達は敬老パスを持参すれば、車内のマナーもフリーパスと勘違いしているように見受けられる、特に団体で乗り込んだときには妙にずうずうしく、耳が遠いセイだとは思うが声が大きい、それと確かに、「バスが止まるまでは立たないでください!」、と車内アナウンスはあるが、降りる時にバスが停車してから、最後尾の席あたりから、「降りますゥー!」、のお年寄りの声、通路にも人が立っているような時には、降りるまでに1分ぐらいも時間がかかる事がある、こういう時にオレが立っている時は、通路を通りやすくするために、身体をよけて通路を空けている事にしているが、そんな事はお構いなしに、人の足を目一杯踏んづけたり、背中や身体を力任せに思いっきり押しのけて、通路を通っていく、「人が通りやすいように、折角身体をよけているのに、力一杯押しのけやがって、このォ~、クソ○○○!」、なんて腹の中で思うことがある。 次の停留所で降りようと一番前に行き、進行方向に向かって身体を正面に向ける、後ろの人にオレは次の駅で降りますという暗黙の合図をしている、にも拘らずに、「ごめんやっしゃ!」、とオレを押しのけてオレの前へ出ようとする、オレもそうだ、還暦を過ぎてからは何となく先は余り長くない、そう思うようになってからはせっかちになっている、オレよりも年上だから、もっとより以上にせっかちなのであろう、分かる、分かる、しかし強引に降り口の一番前に行っておきながら、バスが止まってドアーが開く、サッと降りるのかと思えば、敬老パスがでてこない、モタモタ、モタモタ、「何のために、前にきたんやァ!」。 座る席が無く立っている時、今の管理人の仕事を始めてから通勤は殆どがバス、2年が過ぎた、バス通勤にも慣れてきた、何となく直ぐに降りそうな人には勘が働くようになった、ようし、この人だ、この人が降りればオレがここに座ろうと思い、マークをしていると、勘がピッタリ、その人が直ぐに降りる、さあ、座ろうと思うといつの間にやらオレの真横にピッタリとお年寄りが、そして素早い身のこなしで、斜めの方向からオレとシートの間に身体を滑り込ます、感心している場合ではないが、瞬間的に身体を素早く入れる、お見事、どうやらオレの負け、まァ、いいか、1人目ぐらいはそんな気持ちでいられるが、この人も直ぐに降りる、この時も別のお年寄りに競り負ける、この人も3駅ぐらいで降りていく、又もや同じようにお年寄りに席を競り負ける、こうなると意地でもこの席に座ろうとするが、結局、こういう日は降りる停留所まで、席盗りゲームに負け続けて5連敗、降りる時のモタモタ振りからは想像できないほどの座る時の素早さ、悪いのはマナーだけではない、どうも、最近はすれた年寄りが増えたようだ。 ■「今日の言葉」■ 「 好き嫌いの感情で物事の 善悪を決めていることが多い 」 (自然社・平成18年・新生活標語より)