「吾唯足知」、オレにとっては今年は良い1年だったように思う。
クリスマスイブの夜、もう年賀状の印刷の受付をしているところはないだろうと思いながらインターネットで探していると、とあるサイトで24日の24時が年賀状の印刷の締め切りというところがあって、何枚印刷を頼もうかと迷いながら、もうセミリタイアーの身、年賀状を出すのも受け取るのも年々少なくなってきている、年賀状が余る年、不足する年、そんな年が千鳥で繰り返し、去年は余った、今年は減らそうと思っているが、その減らし加減が難しい、住所録とにらめっこ、やっと枚数が決まったのが24日の23時、デザイン選びでも時間がかかり、ご注文ボタンを送信したのが、受付のリミットの15分前。 30日と31日は仕事、住人さんのうちでもう何人かは年末から正月が済むまで海外旅行に出発、まだ何家族か海外へ出発もあるだろう、普段もひっそりしているマンションだが、年末年始は格別にひっそりと静まり返る、という事は、仕事は物凄くヒマな日である、管理人事務所の窓口に座っていても、ほんの数人ぐらいしか顔を合わさない、仕方は女性、正月前は何かと忙しいだろうと、気を使って年末の2日間はオレが出勤する事にしている、そしてその年末の2日間の仕事中に年賀状の宛名書きをしている。 ここ数年は、オレの意思ではなく、他人様の意思でいつなんどき家を引っ越す事になり兼ねない立場で、年賀状を出して、年が変わって直ぐに、引越しの挨拶状をだす破目になるやも知れず、どうしよう、どうしようか、と思いながらぎりぎりになっていたが、去年からもその可能性はなくなった、しかし、去年も今年も、年末の30日、大晦日の仕事中に年賀状の宛名書きをしている、そんなオレを見て、ヨメはいともあっさりと、「毎年、そんなんなら、やめてしまったら」、という、「だよなァ~」、とあいまいな事を言いながら、普段は付き合いがなく、年賀状を書くときには、長く会っていないがどうしているんだろうと、宛名の主の人の事を思い浮かべながら書いている、せめて一言、近況の連絡や、一度会いましょうとか、1杯やりましょうとか書きたいものだと思いながら、なかなかその一言がかけないでいる。 今日は今年最後の休み、しかも雪がちらつく今年の冬一番の寒さ、4、5日前から風邪気味で治りきっていないオレの身体で、外で6枚ほどの網戸洗いは無理、家の中で出来る照明器具の掃除と、高いところの拭き掃除と、壁にかかっている額の埃落としと拭き掃除、そして玄関には手毬つきの美人画、毎年正月にはこの絵を玄関にかける事にしている、「吾唯足知」、オレにとっては、押しなべてなかなか良い1年だったように思う。 ■「今日の言葉」■ 「 できる事からする姿勢が不可能 と思えることも可能にする 」 (自然社・平成18年・新生活標語より)