「相手の目を見てしっかり話を聞く」
ロザンの宇治原君の事を書いた第2弾。相方菅ちゃん(なぜか菅君ではなく菅ちゃん)の「京大少年」。宇治原家では決して勉強しろと言われることはなく、ただ一つ、言われた事がこれ。 「人の話を聞くときは 相手の目を見てしっかり聞く」 支援員として小学校に行き始めて実感したことがこれ。人の話を聞ける子は強い。学校の授業なんて・・・と思っておられる保護者の方は多いかも知れないけれど何せ子どもたちは毎日毎日ほとんどの時間を小学校で過ごし、沢山の授業を受ける。教え方、方法など、勿論先生によっていろいろだけれど先生だって、ムダなことを教えている訳じゃない。例えその先生の授業が指導書どおりでも、あんちょこ頼みでも、毎日毎日先生の話をちゃんと聞けるか聞けないかでは理解しようとして頭を使いながら聞くか聞かないかでは長い間にものすごい差が出来る。イヤ、もう小学校の1年生、2年生から凄い差が出ている(と私は感じる)授業を見ていても、ちゃんと聞いている子は、顔つきも違うし、何か指示したときの反応も違う。2年生くらいでも公文や塾に言っている子もいて計算やちょっとした知識などはそういう子のほうが得意だったりするが、その子の性格にもよるんだけれど「人の話を聞いているより自分が知っていることを見せたい」感じの子どもだと全然聞いていなくてう~ん大きなお世話だけれどこのままだとちょっとしんどくなるんじゃないかなあと思うときがある。逆にそれほど才気煥発という感じでなくても人の話、先生の話だけでなく友だちの発表なども目を輝かせて聞いている子は伸びていくのが明らかに分かる。そして、勉強の苦手な子どもは、聞き下手が多い。聞いても分からないのか?聞く習慣がないのか?ここを聞かないと!と言うところが聞けない。わざわざせんせいが「大切だよ」というメッセージを送っていても、もうそのメッセージ自体聞いてなかったりする。入学前に早期教育とか、そこまで行かなくても小学校の先取りを幼稚園の内にさせておきたい親は多いようだけれどただ一つ、しっかり聞く経験をさせてあげることが一番大切ではないかなと思う。学校の授業を聞いていたら、こんな事が分かるんだ!新しいことを知るって、こんなに面白いんだ!と思えたら、聞くことが楽しくなるんじゃないかな。先取りして、「な~んだ、学校なんて、知ってることばっかりしか教えてくれない~」みたいになる方が、長い目で見たら、損だなあと思うのです。そういえば、この間、東大生タレントの八田亜紀子(だったっけ?)さんの通知票に先生のコメントが、「あまりにも一生懸命話を聞いてくれるので、こちらも実りのある話をしなくてはいけないと姿勢を正すような気持ちにさせてくれる。」みたいなことが書いてあったそうです(息子談)。こちらが一生懸命話を聞けば、やっぱり話す方もそれに応えてくれる。そういうものなんですね。