大震災から15年
息子は無事、センター試験に出かけていきました。とりあえず、風邪もひかせず、事故にも遭わず、試験を受けたと言うことでまず第一関門クリアと言うことになるのでしょうか。最近、毎日テレビのCMで泣かされています。関西電力のCM。アンジェラ・アキの「手紙」の流れる中、沢山の中学生の笑顔、がれきの積み重なった町、その中で、電気工事をしている人たち、ルミナリエの写真を撮って笑っている中学生達。15歳の君へ君がいたから 前を向けた。君がいたから がんばれた。君がいたから 泣くのをやめた。15年前のあの日、傷ついた町で、私たちの背中を押してくれたのは生まれたばかりの君たち。「この子達の未来を 照らし続けるんだ」あの日の思いを胸に、今日も。君たちがいたから15年でここまでこられた。君たちこそが 希望の光。 そりゃあ、泣けます。あの時、本当に私たちは不安でいっぱいだったけれど同時に、毎日のように復興していく町の様子を見ることが出来た。腰まで水に浸かりながら地面に潜ってガス管工事をしていた人。24時間、本当にずっと工事をしていた電車の高架下。いろいろな県から、見たこともないゴミ収集車が持っていく瓦礫。お風呂に入れなくて、道は波打っていて、本当に不便で、悲しかったけれどそれでも、昨日通れなかった道が今日通れたり、昨日までガスの来ていなかった友だちの家が「ガスが来たからお風呂においで」と言ってくれたり。確実に、元の生活を取り戻そうと休まずに働いている人たちがいた。沢山の優しさにも出逢った。時間と共に、そんな毎日の出会いが、私たちをいやしてくれていたと思う。震災の後、ずっと「明日」が来るのがこわかった。今日は何もなかった。幸せな一日だった。でも、「明日」には、この全てが変わってしまうかも知れない。目に見える物全て変わり果ててしまうような不幸が来るかも知れない。震災の前の日、自分が何をしていたか、はっきりと覚えている。そして、その次の日、本当に考えてもいないことが起こり、全ての景色が変わった。でも、それでも毎日明日がやってきて。私は本当に寝るのがこわかった。あの時5歳だった娘は成人式を迎え、あの時3歳の誕生日を迎えたばかりだった息子が今、センター試験を受けている。影も形もなかった次女が生まれ、もう9歳になる。「明日」が来てくれて良かった。この15年、毎日明日が来て、勿論いろいろな事があり、辛い死にも出逢ったけれど、それでも。「明日」が来続ける限り、希望がある限り、みんな、歩き続けるだろう。