●建物が残った~大分アートプラザの場合
「建物が残った」というのは、書籍の題名。建物が残った 近代建築の保存と転生本体価格 2,800円 (税込 2,940 円) 建築家、磯崎新氏が設計した旧大分県立大分図書館が取り壊しの危機から一転、再生利用された記録だ。【天童木工】モンローチェア《1973年発売・磯崎新》定価 376,950円 (税込) のところ @interior価格 320,400円 (税込) 送料別 送料 1,575円 検見川送信所の保存に絡んで、取り壊しから保存になった事例を探していて、見つけた。朝焼けの検見川送信所大分図書館は1966年に建設された。検見川送信所は近代化遺産に分類されると思うが、こちらは近代建築。しかし、こんな新しいものすら、壊される時期なのかと思うと、逆に驚きだ。これは建物自身が老朽化したというよりは、書籍の収容数が限界に達し、建物の構造的にも今日的(階段が多いなど)ではないという機能面が大きいようだ。スクラップ&ビルドという考え方は公共施設には一般的なのだろうか?確かに、この国はそうやって発展してきたわけだが、それだけでいいのか?それは市民、国民のためになっていたのだろうか?図書館の取り壊しの噂が持ち上がったのは92年秋、鈴木博之東京大学教授の新聞コラム。磯崎氏も「所感」を発表し、無念さと愛着を滲ませたが、しばらくは推移を見守った。建物は既に引き渡し済み。「取り壊しか」「保存か」それを考える主体は県民、市民にあるとゲタを預けたのだ。これには自治体への牽制もあった。続いて、日本建築学会が保存要請を行い、「大分県立図書館を考える会」が発足する。「保存する会」としなかったのは、反対派も巻き込み、話題にしたかったという意図だった。やはり、保存の声もあれば、逆もある。市内在住のある建築家(本書では実名)は「建築物にも死の美学、崩壊の美学がある」といった。これには、建築家の西岡弘氏が反論する。長いが省略できないので引用させてもらおう。「建築を脳死の状態で置いておいてもしかたないという書き方をされていましたが、僕は脳死状態でも何とかして生かしておきたいという気持ちがあって、ご本人もいろいろ苦労して、それで亡くなっていくのが死の美学だと思うのです。それをもう機能しないからということでその生命維持装置を取ってしまう。これは死の美学ではない。単なる暴力だ」結局、この「考える会」の動きに自治体は反応し、取り壊しは撤回された。11億円をかけ、耐震強度を上げる補修工事を行い、アートプラザとして再生した。この中には磯崎氏が寄付した模型、パネル、設計図が飾られている。この本のドキュメント部分は大いに参考になった。こうした先人の努力があるからこそ、僕もやっていくことができる。追伸「検見川送信所保存計画」のバナーを貼ってくださった方にお礼申し上げます。大変ありがとうございました。小さな声で始まっても、それは大きいうねりになる。磯崎氏も同書でそう書いています。検見川送信所の保存は会にもなっておらず、まだまだ小さい声ですが、少しずつ手応えを感じています。ところで、「来週末、仕事半分、遊び半分で大分・湯布院に行きませんか?」と誘われた。これは巡り合わせ。大分のアートプラザをめぐって、同じく磯崎氏が手掛けた湯布院駅を見てこようと思っています。写真は30Dで撮影。キヤノンEOS 30Dボディ【送料無料】特別価格 112,000円 (税込117,600円) 送料込 賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。<a href="http://moleskine.air-nifty.com/photos/kemigawamusen/" target="_blank"><img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/47/0000060947/20/img2159e7f1zik6zj.jpeg" width="170" height="60" alt="musenhozon.jpg" border="0"></a>去年の日記は?2006/8/17 窯焼きピザは薪をくべて