心を耕すのに、遅すぎることはない、か
昨日・一昨日と2日間も熱に苦しめられる中、夢か幻覚かをかなり見た気がする。その中で、自分は人に迷惑をかけてばかりきた「どうしようもない人間」ではないのか、とずいぶん考える。そこで自己否定したわけではなく、そうした「どうしようもない人間」のはずの私と友達になってくれた多くの人々がいる現実を、どう考え、これからどう一歩踏み出すか、あれこれ思いを巡らせた。1つ行きあたったのは……世間知らずで経験不足のまま歳ばかりくってしまった私は、やはり「生きた人間」の「心」を知らなさ過ぎる。自分自身の「心」を耕すために、改めて、古典的と言われる文学作品に親しまなければ、ということ。何せ、大学入学前までほとんど読書しない人間だったということが、この歳になって大いにネックになっていると自覚せざるを得ないから。もちろん読書家だからと言って人の心が分るとも限るまいが、しかし狭い経験だけで物事を裁断するような自分を乗り越えるためには、良書を通じて、自分が経験し得ない世界に接することがやはり不可欠か。特に、イギリスにいたというのに、イギリス文学などにはとんと縁がなかったからなぁ。まぁ、nothing is too late.