3月14・15日共通のお弁当。。。
献立は、豚肉のしょうが焼き、コンビーフのポテトサラダ、山菜煮。添えの野菜はサニーレタス、果物はリンゴ。画像は後程ということにさせて頂きます。◆豚肉のしょうが焼き。。。材料はカツ用に切った豚肉、玉葱、生姜。生姜のすりおろしを混ぜ込んだタレに、筋を切った豚肉を漬け込んで、予め熱しておいたオーブンの天板に並べて色よく焼き上げる。170度で20分ぐらいで焼き加減を確かめる。玉葱は、野菜炒めの要領で切ったのを、炒めて塩コショー味にして、盛り付けのときに豚肉に添える形で添える。◆コンビーフのポテトサラダ。。。材料はジャガイモ、ミックスベジタブル、コンビーフ。ジャガイモの皮を剥いて、大きさを揃えて切って水にさらしたのを塩茹でして熱いうちにつぶしておく。ミックスベジタブルを塩茹でして冷ましておく。コンビーフを缶からだしておく。ジャガイモが冷めたところで材料を混ぜ合わせて、塩、コショー、マヨネーズなどで味を見ながら混ぜ合わせる。◆山菜煮。。。材料は市販の山菜の水煮、竹輪、糸こんにゃく。市販の山菜の水煮を袋から出して、塩を抜いておく。糸こんにゃくは2センチぐらいに切り揃えて下茹でしておく。竹輪は薄い半月切り。だし汁に酒、砂糖、醤油、みりんなどで味を調えた汁で材料を煮含める。ウサギりんごを置いて、サニーレタス(業者の都合で今日はレタス)を敷き、豚肉しょうが焼きを。傍らに炒めた玉葱を添える。左側にはコンビーフ入りポテトサラダと、出し巻き卵を。3番目には山菜含め煮を。ポテトサラダをアルミカップに入れるかどうか散々迷って、結局そのまま盛り付けることに。出し巻き卵は、冷凍のものを湯煎して8貫切りのを、サラダの右側に。 毎月15日に出ているJAあわじ島の広報誌に、学校教育の中での淡路人形浄瑠璃と題して、山本正二先生が寄稿されておられた文を紹介させていただきます。 『1、ひときわ輝くもの 人間は、どこに澄もうと、太古の昔からその地に住み、生き続けてきた多くのご先祖の残してくださった文化の恩恵を受けて今を生きている。 私たちも、南あわじ市が育てて来たかずかずの文化を享受しながら生きているのであるが、その文化の中でひときわ輝くものの一つとして淡路人形浄瑠璃がある。 この人形浄瑠璃が、江戸時代いらい、「人の心はいかにあるべきか」について、どれほど具体的に、またこまやかに教えてくれたことか。心に悩みを持つことの格別多い現在、親にとっても、子にとっても、今もなお人形浄瑠璃の大切なことをつくづくと思うものである。 南あわじ市には、市(いち)小学校、三原・南淡両中学校、志知、三原両高等学校、および地域の方々がお世話くださっての、小・中学校を主体とした賀集(かしゅう)福井子供会の5校1団体があり、いずれも長い歴史を持ち、淡路人形座にかかわる方々の指導も受け、また連絡もとり、地域の皆様のご後援もいただきつつ、この淡路人形浄瑠璃の学習・習得に努めておられる。 次に三原高校郷土部の場合について少し述べてみたい。 2、三原高校郷土部 一、「人間の心」を心として 三原高校郷土部は、昭和27年クラブ活動の一つとして創部された。 この学校に勤務時代、私はよく、「郷土部の生徒さんは、やさしくて親切、いい人ばかりだ」ということばをお聞きした。語り・三味線・操りの三つが一体となり、人形に心を合わせるのでなければ本物の芸にならない。そして、すぐれた人形には、必ずその作者の心が映し出されており、その人形が、人間の持つ極限の愛と誠実さに裏打ちされた喜怒哀楽の思いを抱いて、それを人に演じさせるのである。 したがって、生徒諸君が「人形の心」を心として全身で演じることに努めれば努めるほど、必ず「人形の心」が生徒諸君の心中不覚染み入り、果ては人形と一体となってしまう。それが観る人に「郷土部の生徒さんは」という印象を与え、もっとも心やわらかく、純真な時代の生徒諸君の人間形成の上に大きな教育的役割を果たしてくれているし、さらにその上に、淡路人形浄瑠璃の継承発展の上に大きく役立ってくれているのである。 ところで、わたしたちの、郷土部の生徒諸君に期待するところは大きい。が、しかし生徒諸君、学校の力だけでこれを十分に果たすことができるであろうか。 二、ある日の活動 昭和49年6月、高校の国語担当教師による国語教育研究の全国大会が神戸市で開かれたが、その第2日、すべての行事の締めくくりとして三原高校郷土部に出演の依頼があった。時間は65分。私は責任の重さを痛感した。 この頃の郷土部は、「太十」と「先代萩」の二つを同時に発表するのが例であった。合わせて90分。そこで、みんなで相談し、初めての40分を「太十」に、残る20分を「先代萩」にあてた。当日は、まず「光秀が竹槍を持って湯殿に迫る場面」から、つづいては「正岡の、わが子を失って嘆き悲しむ哀切この上ない母の情」を観ていただいた。 演技が始まると、私は会場の最後部、暗い出口の所に立ち、祈る思いで見守った。 観ているのは全国から来られた先生方である。中には帰りを急がれる方もおられたに違いない、が、一人のドアを押して帰られる方もなく、最後まで観てくださった。 会場に響き渡る拍手の音を聞きながら、私は胸を熱くした。最後まで観てくださった生徒諸君、師匠・先生方に心から感謝申し上げた。 三、窓から浄瑠璃を語る声が その後、時に男子の入部が少なく、頭の重い光秀の使い手に困惑した年もあった。「その原因は」と思った時、私の脳裏をかすめるものがあった。 第二次大戦後、この頃までは日本全体が貧しかったが、この地には、その貧しい中で楽しみを浄瑠璃に求める方がなお多くおられた。 夏の夜、窓をあければ、近くの家から明かりが漏れ、夜風に乗って浄瑠璃を語る声が1時2時まで聞こえてくることもよくあった。したがって、当時の生徒諸君は、幼い時から家の、また里方の祖父、さらには近所の方々を通して人形浄瑠璃に親しむ機会もかなりあった。 ところが高度成長期、日本全体に心のゆとりが失われ、またテレビなどの普及もあって、私たちの周りから浄瑠璃の声が遠のいていったこともその一因でなかったか、と。そして、そうだとするならば、郷土部の発展のためには生徒を取り巻く地域の方々の浄瑠璃に対するご理解がどんなに大切かと思うおもいと、一方、この地域にこんな方々がより増えてくださるためにもいよいよ郷土部の存在の意味は大きいと思うおもいとが相交錯したことであった。 四、お助けがいただけて いま一つ、練習する場所と経費の問題があった。当時、学校には独立した練習室などなく、操りは教室の片隅で、語り・三味線は近所の農家の離れ、後には社会科の部屋などを借りて練習していた。が、幸いにも昭和57年、県の特別のご配慮で、今見る独立した人形館(正式には「多目的特別教室」)が作られたし、経済面でも、県、また淡路人形協会、淡路人形芝居サポートクラブなど、地域の皆様方のお助けがいただけ、ありがたいことである。 3、活動をより進めるために 以上は三原高校郷土部のことであるが、他の4校、1団体とて事情は全く同じと思われる。そして、ここで活躍された方々は、卒業後、青年研究会、淡路人形座等に入り、その他の方も島内外にあって淡路人形浄瑠璃の啓発、発展のため力をかしてくださっている。 また、このほかにも、ゆとり教育、文化祭その他の学校行事の中にこの人形浄瑠璃を取り入れてくださっている学校も多く、これまた将来これがよき理解者、後援者となってくださることを信じるものである。 学校教育の中で、この大切な淡路人形浄瑠璃の活動をより進めていくためには、まず何より児童・生徒、学校が一体となって努力すべきはもちろんである。が、そこには限界もあり、これはすべての学校教育についても言えることではあるが、そして、すでに学校を退いて長い歳月を経た私などの申し上げるのはおこがましいことではありますが、地域の皆様のこの上のご理解、ご協力を切に願うものであります。 付記 『北の零年』の中で観た人形 明治3年、新政府の厳命を受け、それでもかすかな希望を胸に、北に旅立った人々の「ふるさと淡路」に抱く思いを後に託したものが2つあった。 1つはさくら、いま1つは淡路人形浄瑠璃であった。さくらは日本人ならだれもが心に思い浮かべるもの。だが人形浄瑠璃はどうか。これは淡路の人でなければ容易に思いつかぬもの。制作者、監督はよく考えてくださった、と思う。 まず映画の初め、さくらの花の下、人形浄瑠璃「賤が嶽」が演じられた。その後静内に入った志乃の娘、多恵は格別人形を大切にした。稲田の戸のが静内に入った日、殿を歓迎すべく人形浄瑠璃が計画され、多恵もいそいそと人形を抱いて出迎えた。 が、まことにいたましいことに、殿は臣下の心を十分に汲み取ることなく、たちまち静内を去っていく。臣下の絶望は察するにあまりがある。そしてその直後、突然群衆が踊りだし、人形が無惨にも踏みつけられる。この時受けた人形の傷こそ、今の稲田家の人々の心情に重なるものであったろう。 このあと、志乃をはじめ稲田家の人々は直面したきびしい運命に耐え、なおも懸命に生きようと努める。そうした健気な人々を見守り、励まし続けたものが、その後、志乃・多恵の居間に置かれ、何かの折に何度か出てきた人形であった。言い換えれば、この傷つけられた人形こそ、志乃・多恵をはじめ、懸命に北の大地に生きた人々の化身であった、と思うものである』 改めて母校の皆さんの活躍に感動を覚えるとともに、淡路人形浄瑠璃がもたらした役割の大きさを痛感しました。gaiaxのサイトでも時折紹介させて頂いておりましたが、淡路人形浄瑠璃によってはぐくまれる、一番大切な人情というものだけは失いたくないと思います。 更に、タレントのちから… 10万食!!として。。。 『平成13年からJAあわじ島で販売している大人気の「淡路タマネギと淡路牛のカレー」。以前にJAあわじ島女性会セミナーで講演いただいた市田ひろみさんが、「食卓に欠かせないお気に入り」としてJAあわじ島カレーのことを2月2日発売の雑誌に取り上げていただきました。その雑誌の反響で、当JAに注文が殺到、2月だけで4270食の注文をいただきました。平成16年度は2月末までで10万食の取り扱いとなっています。おかげさまで販売開始以来、他府県の常連さまも多数いらしゃいます。※甘口・辛口があります。注文の際には5食単位でどちらか選んでください。。。』とありました。詳しくはこちらから。。。と、こちらで紹介して良いものやらどうやら迷いつつ。。。新鮮野菜が常日頃食べられる私たちに改めて感謝します。