『叱らずに受け止めて』
地元紙の11月13日付子育て欄で見つけた、子どもの気持ちを扱ったシリーズの11回目にはこんなタイトルがつけられていて、副題として言葉とある。そのまま引用させて頂きます。。。 『街で親子が歩いていました。 「さむ~い」。5歳くらいの女の子が言いました、すると母親は「ほら、だからもう1枚着なさいと言ったでしょう!」と子どもに怒っています。よく見かける親子の風景ですが、私はそういうやりとりを見るたびに子どもをとてもかわいそうに思います。子どもはいつも、単に感じたことを言っただけで大人に叱られているからです。 たとえば暑い日も「暑~い」と言おうものなら、「何が暑いの!こんなええ風が吹いとうのに!」。熱い食べ物をたべて「熱っ!」と言っただけで、「フーフーしないからでしょ!」。こけて「痛~い」、すると「何が痛いの!そのくらいで!」。 子どもは、それでどうこうしてほしいなんて、ひとことも言ってはおらず、ただそのときに感じたことを言っただけです。なのに、それを認めてもらえないどころか、なぜか叱られるのです。さっきの女の子も寒いから「さむ~い」と言っただけで、別に母親にマフラーやジャンパーを要求したわけではありません。 子どもは自分の今の状態を言っただけでも、よく親から叱られます。 「おなかがいた~い」。「あんなに冷たいもんばっかり食べるからでしょ!」。子どもはおなかが痛くなった理由は別に知りたいとは思いません。ただ痛いから「痛い」と言ったのです。 何かで疲れて「ああ、しんど」と言ったときも、「もうっ!すぐにしんどい言うんやから!」。特にどうして欲しいわけでもなく、疲れたから「しんど」と言っただけなのに、すごいけんまくで怒られ、予想外の展開に訳がわからず、キョトンとしている子どももいます。 大人同士ならどうでしょうか。「寒いですね~」と言われて、「何が寒いの!」なんて決して言いません。「ホントですねえ」と同調し、笑顔で返しています。言った方も笑顔になり、それで両者の関係はさらによくなっていきます。実際に寒いかどうかなんてどうでもよく、相手に共感することが大切、というわけです。 共感は、相手が子どものときこそ大切です。さっきのように言ったことを否定ばかりしていると、子どもはやがて心の中を正直に言わなくなってしまいます。 「さむ~い」。「ほんと寒いね。でも我慢しようね」。それでいいのです。余計なことは言わず、先ず認める…。子どもはそれだけで十分に満足し、自分自身も受け入れられていることを知ります。それでこそ我慢するということも覚えていくのです。(原坂一郎=保育コンサルタント)』 毎週金曜日の夜は「楽しい方」のコーラスの練習。実は前日に出された宿題の端数の違いにどうも納得が行かなくて、数字とにらめっこしていたら、家を出る時間が遅れてしまった。おまけに、いつもはすんなり左折するのに、左折を忘れていて、私的には大回りすることになってしまう。走りなれない道は、途中までは「第九」の練習会場へ向かうのとほぼ同じ。でも、「第九」の練習に行くときに渡る橋を渡らず、そのまま真っ直ぐ行くと、段々道が狭くなる部分があって、ここは譲り合わないことには対向出来ない。だから、本当は夜暗くなってからは正直通過したくないところ。。。 練習会場に着くと、既に発声練習は終わって「トロイカ」の歌声が。私には初見の楽譜を手にして、混声四部に編曲された部分を歌う。。。 部屋は十分広く、私には苦手な暖房がガンガン効いている。この部屋で母親と一緒に来られた子どもたちが走り回って遊んでいる。汗をかかないか、私はとても心配になったけど、実は、お弁当の配達中、歩いて歩いて歩き回って汗をかいてしまった私。だから、正直風邪を引き込み易いような状態になっていて、この暖房は私には本当にきついものがあった。暑い寒いの感じ方って人それぞれだし、私自身は本当は冷房の方が有り難かったりするときの暖房はとてもきつい。でも、ひたすら我慢で練習。日曜日には亡父の三回忌の法要を控えているし、ここで風邪を引くわけにはいかない。。。でも、実際汗をかいた後のフォローが一番大事だと思う。練習は楽しかったけど、家に戻ってから、身体を温めるのに本当に苦労した。もしかしたら、木曜日の高速バスで風邪をうつされてしまったかな?高速バスの車内も暖房が効いていたしなぁ。だから上着を脱がなきゃ暑くてたまらなかったけど。風邪気味の人が一人いらっしゃったら全員が風邪をうつされてしまいそうな、そんな雰囲気だったからなぁ。運転士さんがヴェスト姿で平気でいられるってことは、それだけ車内温度が上がり過ぎってことじゃないのかなぁ?暑い我慢というのも、結構きついものがある私。体調のせいもあるのかな?