叔母の三回忌
母の妹が他界して丸二年。だから三回忌に当たる。母には二人の妹がいて、真ん中の妹が母より先に逝ってしまったことになる。農作業はいとわず、何かにつけてこの叔母には本当にお世話になった。母が整形外科へ入院したときも必ず排泄介助のお世話に来てくださった。 ご主人は大阪市立大学病院(天王寺区)に入院していたことがあり、私がお見舞いに行った折、叔母さんと意気投合して叔母には娘さん、私には従姉妹に当たる方の嫁ぎ先へお邪魔し、おまけに一泊させていただいたことがある。今日はその従姉妹とそんな話で盛り上がってしまった。その従姉妹自身は二人姉妹の姉を亡くしているので、叔母には娘を先に逝かせてしまったことになる。母は長姉だったのに、生まれた私たち兄妹は一番幼かったためいとこたちの中では私たち兄妹が一番若いことになる。 大阪市の当時は住吉区内の特定郵便局(=現大阪市住之江区)に就職が決まり、枚方市にある寮からでは通勤が大変と心配した母が勝手に、高石市に住む妹宅へ私を下宿させることに決めてしまった。たまたま散歩していた住吉公園で何と、この従姉妹は当時の局長夫人と偶然にもお逢いしていたというエピソードもある。 従姉妹にとってはもうご両親を亡くしてしまわれたことになる。20歳で大阪市は東住吉区に嫁がれたということも今日初めて話に出た。母などは結婚式にも列席しているだろうから、若い花嫁に感激かもしれない。 写真を見せて貰ったことはうっすら記憶にはあっても、彼女が20歳のときだっただなんて、自分に当てはめると驚いてしまう。私自身は郵便局の仕事に没頭していて、とても結婚なんて考えられなかったから。 懐かしい話に花が咲き、従姉妹は「さながら従姉妹会みたい、母が集めてくれたのね。」の言葉にしんみりしてしまう。それでもやはり懐かしい顔に会える機会というのはこんなことでもなければ実現しない。 法事ごとに付き物の引き出物。「組み付け」とか「茶の子」とか「果物」その一つに橋詰水産さんのちりめんじゃこが入っていた。これはもう大助かり♪大根卸しと一緒に食べても、また胡瓜と若布の酢の物に加えても♪ 海とは接していない三原地区から送迎バスに揺られて一路福良湾へ。鳴門みさき荘が今日の会場。橋の向こうは徳島県という鳴門海峡に面し、まるで大鳴門橋の袂という感じの場所にあり、部屋の窓からも橋が手に取るように見える。お料理の数々に満腹し、懐かしい話に大いに花が咲き、叔母さんのお陰で素敵な時間を持つことができた。