原爆~63年目の真実
うちの祖父は戦争に行ったけど、私はもちろん戦争も原爆も知りません。軍服の祖父の遺影を見ても、大昔の人ことのように思っていましたが、たった63年前のことなんですよね・・・。若い頃は無関心だったけど、歳を取ると戦争のことに興味が出てきて、毎年この時期の戦争関連の番組を観るようになりました。で、昨日は原爆~63年目の真実という番組を観ました。 まず、アメリカの戦略爆撃調査団のダニエル・マクガバンが撮り、一番心に残ったと言う、長崎の原爆3ケ月後のカラー映像に映っていた「爆心でおんぶ紐姿で微笑む美しい少女」を、石原さとみが訪ね歩くという企画。 詳しくはココ 多くの児童や先生が犠牲になった長崎で、戦争の話を語り継ぐボランティアのおじいさんに会って証言を聞き、まずこの少女と一緒に映っていた元少年を訪ねると、その少女は、妹をおぶった自分のお姉さんだということで、その元少女と天主堂で対面。あの時は、衣食住に困っていたので、アメリカ人にお菓子をもらいに行ったのだそうです。原爆を落としたアメリカ人は本当に憎かったけど、お菓子をくれた人は、優しかったと話されてたのが印象に残りました。 あとは日本製原爆製造(トップシークレット)の元若い研究者の証言は興味深かった。詳しくはココ それと、長崎型原爆を郡山へ落とす作戦を、独断で皇居に投下しようとした、天才パイロットの話。(呉服橋に落ち、未遂)ココ エノラ・ゲイで原爆投下した張本人のパイロットが、「自分は戦争を長引かせずに犠牲者を最小限に終わらせた」みたいに誇らしそうに喋っていたのがムカついた!それと対照的だったのは、アメリカは1000以上の核爆弾実験をしてて、何も知らない人たちが結果的に被爆してて、「自分たちは人間モルモット」にされたと退役軍人たちが話していたこと。長崎の原爆は、実は小倉に落とすはずだったのが、悪天候?かなんか長崎に急遽変更になったのは知っていたけど、原爆の第三番目の標的が東京だったのは知らなかったなぁ・・・ 去年の、「トランクの中の日本」のときも強く思ったけど、歴史に、たら・れば・・・・はナンセンスとわかりつつ、やはり「もしも」と考えずにはいられません。