包装紙
あるところで器を求めた折りに何とも美しい包装紙で包んでいただきました。これには大いに感心して何人もの人に話をし、また一度ここにも書いたような気もするのですが探してみても見当たらないので写真を添えてあらためて紹介します。 それはベージュのやや薄手の再生紙のような質の紙に平行に切れ目が入れられているのです。ただこれだけのことなのですが何か立体的なものを包むとかたちにあわせて切れ目が拡がってこの一枚の紙がクッション材の役目を果たします。 簡単なことのようですがこれは実によく出来ているという気がします。紙の質からもやや抑えた落ち着いた色調からもきっと誰か非常に優れたデザイナーの仕事ではないかとおもうのですが詳しいことはわかりません。今さらここで称賛するまでもなくすでに高く評価されているような気もします。 ほとんどすべての手作りのやきものの作者はここまで「個」を抑えたデザインは出来ていないという気がします。「個性的であれ」というのは近代意識としては当然の命題ではあったでしょうが、はたしてこれは疑問の無いことなのでしょうか。真に美しいものは「個」に捕らわれることなくもっと自由なものだと想います。むろん個性的な芸術にもたいへん優れた希有な例外があるのですが、ほとんど多くは暮らしの彩りとしてはともかく、日常の暮らしの伴侶としては騒がしいのではないかと想います。実用工芸であるはずの器の仕事は「個性」の表現の媒体としてはふさわしいとは想われません。 余談が過ぎましたがこの包装紙には機能と美の合一があるのです。そして重要なことはなにも特別な材料を用いることもなく、また特別な工程を加えるでもなくこれを実現している訳です。努力や工夫に価値がないとは思いませんが、あれこれいじくり回して美を痛めている手仕事、誰にも真似の出来ないような技術や秘法に沈む心持ちは反省してよいのだということを知らねばなりません。当たり前の材料でかくも美しく機能的なこの包装紙を見ていると手仕事の陥っている様々な病理が気にかかります。この爽やかな美に学びたいものです。