「仲野 文コレクション・藤井佐知 陶の仕事」展を観る
南あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館にて6月1日より7月31日まで開かれていた「仲野 文コレクション・藤井佐知 陶の仕事」展を見に行った。 藤井先生の御作はそれまで数点しか見たことはなかったがそのどれもが隅々まで神経が通って生命感にあふれた楽しいものであり、また確かな骨格を持っていながらおおらかなかたちとともに大変印象的なもので、藤井佐知という名前はぼくの中では特別なものとして記憶していた。もっと多くのものを見たい、どこかでまとめて御作が見たいと念じながらも20年間その機会は訪れなかった。 日本のスリップウェアとして最も重要なのはバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎がその先駆けとして手がけた一連の作の他には出雲の舩木道忠、倉敷の武内晴二郎、そして淡路の藤井佐知さんによるもので、なかでも舩木、藤井両先生のお仕事はその生涯のお仕事の中心にスリップウェアがあってしかもそれがみずみずしい日本のやきものとして表現されているところに大変な意味があると思い尊敬していた。 藤井先生には以前に大阪の民芸館でも偶然に出くわしたことがあって少しお話させていただく機会があったし、またたぶんこちらが後だったような気がするが自分が国画会に出して会場の当番だった時にもお目にかかりもした。親切で暖かくて同時に上品で凛とした空気を感じたがやはり随分御高齢で腰は深く曲がってもう陶器作りの仕事はしんどいのではないかという気がした。 最近もやはりスリップウェアを仲立ちとした御縁のある方と会うたびに藤井先生の話をして、一度お話を聞きに行けないだろうかと計画して、また先生ともお付き合いのあったある別の方に御紹介戴けないかと相談してみたりもしたのだがやはり御高齢でご負担だろうとの返事をいただいて何年か遅すぎたことを残念に思っていたのだった。 そんな折り先生の地元淡路で長年のお付き合いの中でコレクションされてきたものの展覧会が開かれるということを知った。これを知ったのはもう会期も残り少ない時期ではあったがこの機会は逃すことなく何としてでも行かねばならないという思いもあって丹波篠山の作陶家平山元康さんを誘って出掛けたのである。 早朝に出発して午前も早いうちに別の用事を済ませたあと昼頃に淡路に渡った。海と山とに挟まれた気持ちの良い道を走って会場に着いた。会場はそれほど広くはなかったがそれでもたくさんの品が並んでいた。全ては長年憧れて過ぎるほどに期待していたそれ以上のものだった。ものがどう良いかなどということは文章に出来るものではないが、あるいは陶器の技術者として詳細に観察して、またあるいはただ作品の世界に遊ばせてもらいながら、打たれ切った二人は夕方近くまで長い間会場で過ごした。 いまネットで調べても藤井佐知という作陶家についての情報は多くはない。濱田庄司門下の民藝派の作家として一部では認知されてはいるがどういう訳かまとまった図録や資料や公的コレクションも無いように思われる。濱田門下には高名な作家もあるがその誰よりも冴えた藤井先生のお仕事は未だ正当な評価はされていないのだというのが事実で、埋もれてはならないものが埋もれてしまうというのはほんとうに大きな損失だが、今この時期に長年のコレクションを公開された仲野文さんにも会場でお目にかかれたのだがほんとうに得がたい良い機会を作っていただいて有難い気持ちがした。 いつか藤井先生の御作をひとつでも手元に置いてみたいのと同時に、なにか自分に出来ることがあればしたいという気持ちになった。今回たくさんの御作を見て改めてはっきりわかったのだが、藤井佐知は日本の最も重要な作陶家のひとりであると確信した。これほどの仕事を残したひとは実際数えるほどしかいない。