古丹波の徳利
先日壺を手放して壺の居たところが寂しくなった、ということを書いたばかりなのだが、せめてもの慰めにと江戸初期の丹波の徳利がやってきた。それはゆるゆると廻る轆轤でひきあげたいかにも初心なそれでいて揺るぎないかたちをした、鮮かな夕焼けのように赤く照った釉薬も美しい徳利である。部屋の小さな箪笥の上にまるでロマネスクの彫刻のような姿をして、ずっと前から其処にあったかのように佇んでいる。 赤土部と呼ばれるこの頃の丹波独特の深い赤の釉薬にひかれて学生の頃から何度も丹波に通ったものだ。今では何処の泥をどのように調合してどんな炎で焼いたものかは誰にもわからない。やがて丹波で修業するようになった自分も沢山のテストを繰り返したがどうにも歯が立たなかった。 丹波の赤土部、朝鮮や丹波や沖繩の化粧土を使ったそれぞれに暖かい調子の白いやきもの、それからイギリスのスリップウェア、こういうものものが自分をやきものの道に誘ったのだ。想えばこれらは全て泥を用いた化粧陶器の一群である。時代も産地も様々なこれらにひかれたというのはいかにも不思議なことだという気がする。やきものの工程や原料についてはなんの知識もない時分のことなのだ。未だに様々な化粧陶器にすこしも飽きることなしに取り組んでいる。 しかしよい赤土部というのは案外少ないものである。余程窯の中の条件が揃わなければ美しい赤には発色しない。ずいぶん前から憧れてはいてもこういう美しい赤土部のものはすでに値も高く、学生の身分ではどうにも手が出なかった。いったい売ったり買ったりなにをやってるんだろうという気はするのだが、これほどのものはそうそうはないと想う気持ちを壺を手放して得た少しはまとまったお金が変に勇気づけてくれたのだ。