コーシーとリーマン-高木貞治著「近世数学史談」
函数論は高等数学の入口ともされ、複素平面上にて正則函数の挙動を研究する分野で、多項式函数、 指数函数、三角函数、対数函数等を含むもので、大学では犬井鉄郎教授の講義を受けて、面白さに惹かれたものでした。社会に出た後、地中管からの熱放出による温度分布解析には、等角写像を用いた図形変換で簡単に解決出来た際には、応用数学の有用さを実感したものです。正則函数とは、複素函数(複素数を変数とする函数)の内で、定義域にて微分可能な函数のことである。領域内の全てで微分可能であることは正則性と言われ、多項式函数、 指数函数、三角関数、対数函数、ガンマ関数など、複素解析において中心的な役割を演じる函数の多くはこの性質を持っている。z = x + iy とし、複素函数 f)は実 2 変数函数 u(x,y), v(x,y) を用いてf(x,y) = u(x,y) + iv(x,y)と表すことができる。f(z) = f(x, y) が正則函数であれば、u, v はコーシー・リーマンの方程式と呼ばれる偏微分方程式を満たす。教養学部での解析学の教科書「解析概論」の著者である高木貞治氏は、1933年に「近世数学史談」を刊行、近世数学の巨人達の様子を紹介していますが、これがロマンチックな物語となっていて、倦むことがありません。函数論の章では、コーシーを先駆者、リーマンを発展者として次の様に紹介しています。コーシーの業績で最も顕著なのは函数論の創設であろう。しかしコーシーは創設を意識していたのではなく、ラプラース、ルジャンドル等が遭遇した特殊な定積分を計算することが要因だったのである。それらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的な方法で計算されることを看破し、1825年「虚数限界内の定積分の論」なる論文を発表、その成果は今日で言う「極点(pole)に関する留数の定理」であった。1851年に至って、今日の解析函数全てが函数論の対象として確認され、30年の歳月を経てコーシーの函数論に目鼻がついたのである。1851年と言えばリーマンの学士論文「複素変数の函数の理論基礎」が出た年である。「微分商dw/dzが微分dzに関係無き一定の値を有する時に、wを複素変数zの函数」とし、コーシーが30年の歳月を経て辛くも達し得た立脚点を、平気で占有したのであった。理論の進歩とはそう言うもので、ロゴス(知性論理)には適正な先人の業績を受け継ぐ伝統が必要なのでしょう!