『新古今和歌集』の中の秋の”夕暮れ”を歌った(三夕)・・・
(西行法師) 心なき身にも哀れは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ (藤原定家) 見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ (寂蓮) 寂しさはその色としもなかりけり 槇立つ山の 秋の夕暮れ 日本人ですね~ 身体中のDNAが疼きます。 (笑い) ご訪問ありがとうございます。 今日は、ドビュッシーの 月の光 (4分27) を どうぞ! 新古今和歌集の " 秋の夕暮れ " と、 ドビッシーの月の光のコラボ、いかがですか? 心に染み入る秋の月光、ピアノの音色、秋清しですね・・・ このところ入ってくるスケジュールに圧迫されていまして、綱渡りのような日々を送っています。" 入るもの拒まず、 " で、これも何かの縁、と頼まれたものは全て受け止めてやっていますが、、、 やっぱり頼られたら断れないですよね~ (笑い) これが、弱みです。 あはは~じつは、10年近く、運命鑑定でご相談に来てくださっている方がいます。Aさんとします。みなさんが、それぞれ長いお付き合いなので、特別とも思えないのですが、遠方の為に、一度もお会いしたことがなく、すべてお電話でした。あっと云う間の10年間に、小学生だった息子さんがもう、大学生~。姉である娘さんは、無事、医学部へ入って、4年後はもう、女医さんですって。 本当にいろいろあって、その時々に話したことが走馬灯のように、記憶のなかで巡ります。 一人の人の話を聴き、共に考え、間違いない方途を指し示す事は、運命学に基づけば、そんなに難しいことではないのですが、 実に不思議なご縁! みんな、身内以上に何でも知っている間柄になるものです。 先々月、そのAさんから急に、『 先生、運命学を教えてくれますか?』 と、電話が入り、 " いいわよ! でも、どうやって東北から此方へ通うの? " と訊けば、『 息子が4月から東京の大学に入ったので、一週間位なら泊まって先生の所へ伺えます。』 とのこと。Aさんも運命学を勉強する余裕が出てきたのだと、ほっとした次第です。 じゃぁ、頑張ろう! という事になり、それから彼女の上京の折にほぼ毎日?お互いに時間をやりくりして、Aさんとの運命学の集中講座が始まりました。今月で2ヶ月目、Aさんに手ごたえはあったようです。Aさん 『 自分の事がもっと、解かるようになりたいです。後は、主人の命式ね。教えていただいて自分に欠けているものがよ~く解かったので、主人を責めてもねぇ~と気づきました。お互いに、私だけが被害者ではないかもしれない。 』 私 " お~、よくぞ分ってくれました! そこよ。 それが運命学の醍醐味なのよ! 他人に言われればイヤな事も、自分で気が付ければ、得したみたいでしょう ? "Aさん 『 ええ!』 自分の悩みのすべての原因は、自分の中にあるという事が分って、はじめて本当の自立が始まると思っています。 自立というものを、観念的に、理屈で頭から知ったところで、何にもなりません。言葉の遊戯に終ります。言葉だけの議論はむなしいです。 難産ですが、こうして自分を解かってからの方が自立を理解しやすいのです。これから、Aさんは、益々、運命学の佳境に入っていくでしょうね。子育ても終って、運命学への挑戦、どう成長されるのか頑張りましょう。 信じるに足るものさしで、自分を冷静に客観的に観て、 自分のゆがみに気づく事、それそのものが、 人生のあらゆる良いことも、悪い事も、この自分の中から出ていると云う事を受け入れられるようになり、同時に、すべてが感謝と喜びに変わります。それが、まず、浄化の第一歩です。 自然と人が、 人と人が、 自分と自分が、 もっと深く、関っていくことができますように。 スマトラの地震、竜巻、あらゆる天地が、どうか納まりますように。 インフルエンザが、鎮まりますように。 秋の夕暮れ、月に向かって静かに祈りましょうね。