イグアスの滝、ゴロンドリナス洞窟へ飛び込んで、ギアナ高地を見ながら復活愛を・・・
夏日を思わす陽射しを浴びて、薔薇が咲き始めました。 どうぞ、下をクリックして、 HAKASE・TARO の etopirikaを、聞きながら、 ブラジル・アルゼンチンのイグアスの滝、メキシコのゴロンドリナス洞窟へ飛び込んだり、ベネズエラのギアナ高地の動画をどうぞ。 爽やかになっていただけましたか? では、次は一挙に、下界へまいりま~す。 爆ご訪問ありがとうございます。 今日は久々に恋愛鑑定です。 よく扱われる言葉を取り上げてみようと思います。 2008.10.29の " 運命の人" について書きましたが、 今回は " 復活愛 " についてです。 この二つが、売れる占い雑誌 " の表紙コピーなのですが、 もともと運命学に、これ等のトピックはないのです。 じゃぁ、もともとないものを、ニセものでやっているというわけでもなくて、 運命学という学問を、ああもできる、こうもできる、という 方便のひとつということを理解してください。 運命学という学問が、いわゆる通俗化、世俗化した形のひとつですね。どういう言葉が世俗的に広がっているかということでみれば、 雑誌がよく売れるために、こういうコピーが表紙に書かれるということは、特に女性が、運命の人に出会いたいという夢を持ち、別れや振られた相手にもう一度帰ってきて欲しいという女心ですね。 そんなことできるの? と期待し、一縷の望みを掛けてしまう・・・・・ 『 ヨリを戻す愛 』より、『 復活愛 』 の方が力強いでしょ? 宣伝コピーとしたら、すごくあたっていますね。 (笑い) 《 彼と貴女の復活愛!!》 なる雑誌の特集が今は、定着しています。 そのハシリは、もうずいぶん前、十年以上も前、 その頃、女子高校生から50歳を越えた女性までが、『 彼と復活できるか、復活愛をみてください?』 と電話を掛けてこられました。 私はこの種の雑誌に宣伝はしていません。なぜなのだろう・・・ この現象に、本当に驚いた事があります。 いやいや! すご~い! たぶん、当時、雑誌を企画した会社が、そう思ったのではないでしょうか?これが、マーケッティング理論なのですね。 本当に、この仕事は、社会の実像を実感させ、私を成長させてくれます。まぁ、どういう切っ掛けでもいい、 運命の人や、復活愛を求めて、電話を掛けてきてくれたり、ご相談に来られた方達と、下は高校生、果ては60歳前の人だったり (さすがに恋愛相談は、60歳以上はいません)と、愛や人生を語り、その人の生い立ちから最後は孔子や仏教の話までしてしまうのですから、、、。恋愛、それはその人の全体運のなかのモノなのですが、やっぱり、色はオレンジやピンク、明るい赤色に染まっているものを眺めたいですね。時として、ダークブルー、固まった褐色を思わす苦しい恋愛を観ます。そこになるまで執着するよりも、復活させようとするよりも、全身が黒変する前に打ち切った方が賢明なことが多いです。そうしないと次は病が出ます。女性は、自分の不幸を相手のせいにしやすかったり、逆に自分が相手を変えられる、変える事が正しいと思い込みやすいのですが、自分の運気が低迷している時に、それは不可能です。 どんな理想も、どんな努力も、自分の合理性(理屈)のなかで考えているだけで答えを出しては困ります。それが時として暴走になったり独善に囚われたり、運に守られない結果になってしまいます。自分の種を何時蒔くのか、時を知る事、選ぶ事、が大事です。 気が付かないでしょうが、自分の家系の運というものに負う事も大いにあることなのですよ。それをなんにも考慮しないで、うまくやれた時、それは、自分の運を知るというのか、自分の無意識が自然と自分を誘ってくれた、、、来福です。東洋では、愛する者との別れは、人間なら誰の人生にも具わる苦の一つで、古典的な伝統的な苦であると、仏陀の初期の悟り四苦八苦(しくはっく)のなかに書かれています。 愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと分かれなければならない苦しみ 五蘊盛苦(ごうんじょうく) 心身の機能が活発なため起こる苦しみ (これは、元気な抑えられない欲望の事でしょうか) 人間は、苦に会う為に、恋愛をしているようですね。(笑い) それならそれで大いに苦を受けていいじゃないですか。 そして大いに恋愛をし、大いに幸と福を味わえるように恋愛ができる時に努力するしかないですね。(笑い) 恋愛に限らず、心から求めているものは、かならず実現します。 それは心を研ぎ澄ませば、すぐ傍までやって来ます。 無意識から意識の世界へいつ入ってくるかということです。 心が浄化されて五感が澄んでいないと、意識の世界に入ってきても、自分の五感が気が付かないで過ぎ去るのです。 時が一番大事です。 運とは、時が運んでくるもの、だから宇宙の運行と言ったのですよ。誰だって苦そのものからは、逃げられません。まして、2,300年前に、仏教が言う、生に付随する苦が、 占い師の言葉でどうにかなると、思われますか?