神功皇后、出産の地「宇美八幡宮」
この写真の像が神功皇后と応神天皇の母子像かどうか確かめずに写真を撮ってきた。勉強するにつれて「これって、もしかしたら」となるわけである。この写真は宇美八幡宮にある石像である。さて、「古事記」によると新羅にいるときから産気づいていた神功皇后。お腹を鎮めるための石を衣服の腰に巻きつけて帰国したそうだ。「日本書記」によると応神天皇誕生は仲哀天皇9年の12月14日とある。新羅からの帰国が12月4日だとすればわずか10日後の出産だったことになる。伝承によれば、三韓征伐を終えた神功皇后は姪浜に上陸後、豪族鳥飼氏の饗応(キョウオウ)を受け香椎宮に帰還して諸々の祭儀を行ったのち、仲哀天皇が亡くなった香椎宮での出産をせず香椎宮から13キロ離れた地で出産をする。この地を「産み」八幡宮と呼んでいる。今は「宇美八幡宮」と書く。 「日本書紀」には「筑紫の蚊田でお生まれになった」とあり、「古事記」には「御子のお生まれになった地を名づけて宇美という」と記述されている。この地はもともと「蚊田」(かだ)という地で、神功皇后の出産を契機に「宇美」という地名になったのかもしれない。参考文献:すぐわかる日本の神社価格:1,890円(税込、送料別)すぐわかる日本の神々価格:1,890円(税込、送料別)