愛しの三日月山
三日月山の麓に超高級な家を買って住んではや29年30年近くがたとうとしている死んだ親父が完成した家を見上げて「30年くらいはもつだろう」とつぶやいたのをおぼえている家の話ではない三日月山を十数年ぶりに歩いてきたのだしあわせな山道だったなつかしい山道だった息子たちといっしょに歩いた山道だった三男をおぶって下山した山道だった 親は子どもの思い出抱きしめながら老いてゆく子は子育てに追われながら日々に流されてゆくそして三日月山でわかったことがある人はなぜ山をめざすのか?「そこに山があるから」ではなく実はカミサマに会いに行ってることがわかったんだ三日月山というカミサマに会いにいってきたそれが答えなんだたぶんおそらくきっと 途中でベンチに横になって空見上げたら枯葉が舞い落ちてくるんだそれも一枚一枚違う踊りを踊りながら上から枯葉が降りてくる様子はもう格別に美しいと感じたさ今日ここに来た意味はこの枯葉に出逢うためだと確信したねゲイジュツだとか写真を撮るだとか、写真に残すだとか俳句を詠むなどということが実に俺自身のスケベ心に過ぎないと感じた 愛しの三日月山に心からの感謝スライドショー