感動した!
あぁ、今日も食った飲んだ。まずは鬱憤晴らしから。-----最近、新聞を読んでいて無性に腹の立つことがある。それは、新聞の特殊指定と再販価格制度の維持のためのキャンペーン記事である。昨日などは見開き全面がそれであったし、他にも毎日のように大きな記事が載っている。特殊指定と再販価格維持制度とは、簡単に言うなら価格保護政策である。新聞業界の言い分では、これら制度が解除されて新聞の価格競争が行われると戸別宅配制度が維持できず、よって国民の知る権利は損なわれ、活字文化が危機に晒されるというのだ。見事な三段論法である。冗談ではない。安売りが始まったらサービスが低下するだって?甘えというほかない。世間知らずも甚だしい。いまどきどんな商品やサービスだって値下げ圧力に応じながらもサービス向上に努めて、それによって消費者の支持を得ているのである。値下げしたからサービスの質も下げさせてもらいますなんて言った日には、消費者に総スカンを食うのは火を見るよりも明らかだ。だからこそ、普通の会社は、時には血を流しながらも必死になって、コストダウンと品質向上に取り組んでいるのである。それが新聞だけは、自分たちは国民の知る権利と活字文化を支えているのだから特別な存在で、保護されて当たり前と開き直っている。ライバルの新聞販売店が宅配をやめたら、ビジネスチャンスと捉えて「うちは宅配を続けるからうちと契約してください」といって販売部数を伸ばそうとなぜ思わないのだろう。他の規制業界は叩いて、規制緩和に反対するのは悪であるかのように言い立てるのに、自分の業界のこととなったら、とたんに臆面もなく既得権維持を声高に叫ぶ。しかも、新聞だから質が悪い。それがあたかも世論であるかのように大々的に自社の紙面に毎日書きたてるのである。これを卑怯といわずしてなにを卑怯と呼ぶのだろう。それに、販売の現場では日々値引きが行われているという現実を、新聞は否定できるのだろうか。ビール券や洗濯洗剤をばら撒くなんて可愛いもので、自転車やテレビをもらったという話を聞いたこともある。私自身も3ヶ月タダということが何度もあったし、3ヶ月ごとに新聞販売員が何箱もの洗濯洗剤を持ってくるから、結婚して1、2年は洗剤を買ったことがなかったというのは嘘ではない。活字文化の話だって、新聞がなくなったら活字文化がなくなるなんて思い上がりもいい加減にしろといいたい。こうして、みんなブログを書いたり読んだりしてるじゃないか。日々何通ものメールを送受信しているのだ。活字は以前よりも人々にとって身近になっている。新聞業界ほど世の中から遅れた業界はない。まだまだ言いたいことはあるが、今日はこのぐらいにしておこう。-----さて、本題。案山子の屁さんに以前ご推薦いただいていた築地にある「さかな竹若」という店。♪行かなーくちゃ、君の家に行かなくちゃ…と思いながら、いざ昼休みになると忘れて別の店に行ってしまい、今日に至っていた。今日の天気はどんよりと曇っていたが、すぐに降り出しそうにもないので♪傘がない~と嘆く心配もなく、築地に向かった。ザうどんや大将と同じビルの地下にある。地下に降りてみると上の階とは随分と違って落ち着いた雰囲気。思ったよりも大きな店である。何の根拠もないのだが、勝手にカウンターとテーブル席が2つ3つしかない小さな居酒屋のような店だと思い込んでいたので、肩透かしを食らったよう。店内に入ってまた驚いた。高級店である。店の女性たちは皆和服姿だ。カウンターは御影石。カウンターの奥の壁は、下の方は岩場を模し、黒御影石(風?)の壁には水が流れている。そしてカウンターの前は大きな生簀になっていて、烏賊や石鯛、鮑にサザエなどが溢れている。メニューを見ると昼だというのに2千円台、3千円台が並んでいる。一番安いのは竹若御膳1,260円。いやその隣にさかな御膳1,050円があった。これだ。煮魚2種、焼魚1種の中からイナダのかぶと煮を選択。出てきたお膳を見てまた驚いた。メインのイナダのほかに、刺身3種盛り、茶碗蒸し、おから、漬物、味噌汁、ご飯。その上、刺身の醤油は自分で注ぐのでもなければ、あらかじめ醤油の入った小皿が付いてくるのでもなく、和服姿の店員がひとり分ずつ目の前で小皿に注いで供してくれるのである。そして、料理の味も良い。刺身の鮮度も良い。イナダはやや味が濃いのと、そう大きなものじゃないから食べにくい面はあるが、十分満足の行く出来だ。イナダの陰には車麩と大根も添えられている。食べながら大いに後悔した。なぜ、前からこの店に気付きながら今日まで来なかったのだろう。コストパフォーマンスはかなりの高水準である。もっと早くに来るべきだった。小泉首相風に言えば、「いいねっ、感動した!」ま、感動したというのは幾分大袈裟だが、それでも大満足。案山子の屁さん、ご推薦ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。満腹、満腹