トンガリキッズの時代なのだ
あぁ、今日も食った飲んだ。朝は、豆乳紅茶。トーストにハチミツ・シロップ。妻の実家から貰ったハチミツ・シロップ。今日の今日までハチミツだと思っていたら、スリムアップシュガーを使った味の素のまがいものだった。まぁ、半分ぐらいはハチミツを使っているらしいが、風味が良くない。家を出ようとしたら、TVから「古賀潤一郎議員の釈明街頭演説がまもなく始まります」というレポーターの絶叫が聞こえてきたので、「ついに有権者の前で腹を掻っ捌く気になったか」と上げた腰を下ろしたのだが、そんなことはある筈もなく。実に往生際の悪い野郎だ。もう自分が「終わっている」ことに気付けないなんてね。後はワイドショーに消費されるだけだ。南無阿弥陀仏。早く成仏してくれ。余計ついでにもう一言。学歴の良し悪しについては人それぞれ意見が分かれるだろうけど、これだけは間違いないと思う。「学歴にすがる奴はダメだ」職場に着いて、今日はサントリーの烏龍茶を買う。ペットや缶入りの烏龍茶は山ほど発売されたが、結局はサントリーの定番商品が残った。実際、飲んでみてこれが一番美味い気がする。ところで、今朝の日経新聞の新商品紹介欄にキリンが「生ウーロン」を発売すると出ていたが、烏龍茶は発酵茶(半発酵だったかな?)なので、「生」と言ったとたんに矛盾が生じている気がするのだが??? もちろん、ヒットした「生茶」にひっかけているのは理解するけど。昼は、社食で味噌ラーメンと高菜おにぎり。キノコそばの方がまだましだったかな。夜は、自宅で、ポークソティ、レンコンのキンピラ、さつま揚げ、発芽玄米入りご飯。娘は発芽玄米入りが嫌いだ。発芽玄米を混ぜない日は、「わぁ、今日は白いご飯だ。やったー」と喜ぶ。他人が聞いたら、貧乏で普段は雑穀を混ぜて食べているように誤解されそうだ。実際、発芽玄米は食感がネチャッとするし、味も落ちるように思う。見た目も悪い。身体に良いというので食べ始めたのだけど、何が良いのか良く分からないまま、我が家では定着してしまった。スポーツクラブへ行ったら、ロッカーキーの番号が007だった。いや、それがどうだということはない。いつものようにアクアエクササイズのレッスンに参加したら、膝は痛いし、最後までリズムに乗り切れなかった。「殺しの番号」の祟りか? 不恰好なのはいつものことだけどね。帰宅して晩酌。まずはサントリーダイエット生で乾いた喉を潤す。そして、オールドパー。つまみは今日もアペンツェルンとゴーダ。妻は「今までこんなに続けて沢山のチーズを食べたことはないけど、チーズって美味しいね」というし、確かに食べ始めるとついつい止まらなくなってしまう。しばらくは、チーズが続きそうだ。飲み食いとは関係ないが、中森明夫の「東京トンガリキッズ」が文庫になって戻ってきた。早速購入。読み始めると、自分の生きた80年代がそこにあった。懐かしいということではない、紛れもない自分のあの頃が目の前に甦るのだ。たぶんあの頃のあの世代を生きていない人たちにはチンプンカンプンの固有名詞が並ぶ、まさに新人類の書いた本だったと言える。昨日まで読んでいた吉本隆明と大塚英志がサブカルチャーを論じた対談本は、頭では分かるのだがどうもしっくり来ないと思って読み進めていたら、なるほどという発言に行き当たった。「サブカルチャーが現実になってきた」。吉本隆明にとっては当然そうなのだろうし、私より少し上の世代の大塚英志はサブカルチャーが現実になり始めた過渡期の世代なのだろう。でも、トンガリキッズにとっては、彼らがサブカルチャーと呼んだものがはじめから現実そのものだったのだ。かつて「新人類」と呼ばれた世代が、そういう文化的意味を持っていたのかと、今頃になって納得。そういえば、誰かが世代を論じる奴は信用しないと言っていたのを思い出した。誰だったかな?今日は飲み食いの話から脱線したが、とりあえず満腹、満腹