月を見る
あくまで私だけのことだとは思うが…1人でいると自然を見ることが多くなったと感じる。今でこそ1人暮らしのベテランのような感じになってはいるが、私も学生時代は家族と一緒に暮らしていた。特段家族を邪険にすることもなく、一般的でテンプレートのような家族関係だったと思う。仲は良いし、私自身家族のことは好きだ。周りに誰かいて、そしていつも話しかければ誰かが答えるという状況にあったあの頃、私は自然を見る余裕はなかった。余裕がないと言ってしまうと語弊があるかもしれないが、要するにそれ以上に興味のある対象が沢山あったと言った方が正しいかもしれない。今私が住んでいる場所に比べて、私が育った場所は自然が多かった。むしろ自然しかなかったくらいだった。コンビニもないしスーパーもない。家電量販店もないし、モールもない。そんな場所だった。若かった私は自然しかない状況に辟易とし、そしてその場所を出ることを誓った。何もなく不便であるということがどうしようもなく辛かったのだろう。そして今こうして1人暮らしをしながら都会に住んでいる。確かに求めていた利便性は手に入れた。何かを買おうと思っても電車で数分で何でも手に入るような環境になった。しかしそれで求めていたもの全てを手に入れたわけではなかった。むしろ何か大切なものを失ってしまったようにすら思える。だからだろうか、私は最近月をよく見るようになった。月は見ようとしなければ視界に入るものではない。いつも見ているわけではないが、それでも昔に比べると月を眺める頻度は格段に上がったように思える。自然としての月、そして夜の寂しさの中に強烈に存在感を示す月、その存在が1人っきりの私にとっては酷くありがたいもののように思える。今の土地を出よう、ふとそんな考えが浮かんだ。しかし現実を見ればそうも言ってられないだろう。しかし今私がこの場所に居留まる理由なんてもうない。月を見ながら最近そんなことをよく考える。英断の時は近いのかもしれない。