黄色い光と 二重らせんの おはなし。
最近、わたしの身の回りで起き始めていること。それは、先月の十牛図のお絵描き講座で、参加者の人たちの絵に、共通して出てきた、「黄色い光」と、「DNAのような二重曲線」。これに気がつかなかったら、わかることができなかったな、と、思う、今日この頃です。色彩や、図形や、数字というような、抽象性の高いものは、そのまま響きとして、この世の現象の中に浸透して、基盤をなしたりしているので、そこに気がつくと、日々の出来事に共通している一連の流れが、見えてきたりもしますよね。そういった意味で、わたしは良く、お絵描き講座の参加者の人たちの絵に、たくさんのことを、教わっています。自分が開催している講座という場のなかでは、わたしは「先生」という立場に立つわけだけど、それはもちろん、私が何かに優れていたりするから、その立場に立っているのでは無いわけでして、わたしは、単なる役割をはたしている、だけなのです。わたしは「鏡」となることも多いようで、参加者の人の少し未来の姿(これはたとえば植物だったとしたら「芽」の部分にあたると思います)が、わたしの姿の上に重なって映ることも、多いみたいです。だけど、それは、そこに居る「わたし」なのではなくて、わたしが先生という役割に立ったから、わたしは単に、参加者の人の「芽=未来の姿」を、映し出す「鏡」になっているだけなのです。「わたし」の姿の上に重なって見えているのは、「あなたの芽」なのです。こういう少し不思議なことが、お絵描き講座とかではよく起きていて、そのことにはっきり気づかせてくれたのが、十牛図講座の参加者の方の絵にでできた、「黄色い光」と「二重螺旋の図形」なのでした。そういうこともありまして、神聖図形の重要性を感じ、次回の神話研究会では、神聖図形の線描タイムも、設けることにしました。神聖図形の線描とは、シュタイナーのほうでは、フォルメンに、他ならないのだと思います。わたしは、フォルメンは、シュタイナーのお勉強をしていた時に、水彩の講座にやはりセットになっていたものを、数年間体験したことがありますが、専門家ではありません。わたしの古くからの友人に、このフォルメンを専門に研究している人がいて、いずれ神話研究会がだんだんと育っていったら、この友人を招いて、フォルメンの時間が持てたら良いなと、夢をふくらませていたりもします。それまでは、わたしがつなぎの役割をするわけだけど、シュタイナーの精神を忘れずに、良い時間をつくってゆくことができたら良いなと、思っています。おかげさまで、シュタイナーのほうでも私は、とても良い指導者に、恵まれてきました。オイリュトミー・水彩・自然科学・神秘哲学、などなど。そこで出会った指導者の方たちもまた、わたしの「芽」を、(最近はほとんどお会いしていないのですが)、今でも、育ててくださっていますね。とてもありがたいことです。けさ、ネットのサイトを見ていましたら、内山さんがブログを更新されているのを、見つけました。松丸本舗で「ぐるぐる」体験わたしは、松丸本舗って何か知らなかったので、何だろうという好奇心から、このブログを読み始めたのですが、読んで行くうちに、あぁ!という気持ちに変わって行きました。内山さん、どうもありがとうございます!ここにも、こういう「黄色」と「二重螺旋」が、展開されていたのだなぁと、感慨深い思いにいっぱいになりました。どの方向に、未来の一歩として、「芽」が出て行くのかは、講座のほかの主催者の人も、参加者の方たちもわからないのだと思いますし、もちろんわたしも、わからずにやっています。でも、二重螺旋は、黄色い光の方向に、導かれているようです。二重螺旋なので、ほんとうにおたがいに、おかげさまなかんじで、そんな感じで、関わらせていただいているのは、わたしにとっては、とても大きなよろこびのひとつです。どうもありがとうございます。