私が福岡県に移住して4年が経過。
この日(2月17日)をもって、私は東京から都落ちし、福岡県に移住して4年が経過しました。 2019年2月17日(日)の早朝。世田谷区内の駅で父とお別れの握手をしたこと。東京駅から新幹線のぞみ15号に乗り込んだ際、これ以上ない感慨深さを感じたこと。そののぞみ15号がJR西日本所属のN700系であり、「東京と決別するんだ」という気持ちが強くなったこと。大野城市のシェアハウスの到着した後、携帯電話の買い替えのために西鉄電車で天神まで移動したこと。移住当日の出来事は、今でもはっきりと覚えています。 翌日には(事前にアポを取っていた)北九州市の「とある高校」への教員採用の面接のために、天神から高速バスで小倉に移動。「とある高校」は記念受験のつもりでしたが、まさかの内定通知。私はとても驚きましたが、内定を受諾。平成から令和に改元された時期に、正式に北九州市に住民票を移しました。 移住の1年前、私は千代田区 有楽町の東京交通会館を訪問し、その6階に北九州市役所の東京事務所があることを知りました。福岡県が設置している移住相談センターへ出かけるついでに訪問しましたが、まさかその当時は今のように、自分が北九州市に住むだなんて、全く予想していませんでした。 都落ちし、福岡県に来てから4年。北九州市から、コロナ禍や(多くの国民の中止を求める意見を押し切っての)東京オリンピックの開催強行を見つめました。「故郷とは何か」「文化とは何か」「首都・東京とは何か」を深く考えさせられた時期でした。 2週間前、私は3年ぶりに両親、弟夫婦と再会しました。その際、私は両親や弟との会話の中で北九州弁を使いました。昨年、祖母と再会した際の会話でも、私は7割が東京弁、3割が北九州弁でした。 私が最後に東京にいたのは2019年・年末から'20年の正月三が日にかけてです。コロナ禍の期間で、私が最も東へ行った地域は、大阪府八尾市の高安山です。私の心の中では、東京がどんどん遠い存在になっています。父からは「心がすっかり九州の人間になってるね」と言われました。もう今の私は「福岡県人である」「神戸人である」「アントワープ人である」という想いで占められています。 もし私が東京に残っていたら、今頃どうなっていたか。・・・ああ、そんなパラレルワールド、想像したくありません。「やって後悔するか、やらずに後悔するか」を考えた際、やって後悔して大正解でした。