総合学習の多大なる影響!?
まだやってる・・理科の宿題。リニアモーターカーの仕組みから中央リニア新幹線の問題点にまで発展しています。やりだすとあれもこれも掘り下げないと気がすまないらしく、どんどん内容が増えていくらしいのです。いったい書き終わるのでしょうか。社会のレポートとは違い、今度は手書きに拘っているから、まさか30枚にはならないと思うのですが。共同研究ではありますが、ふたりで取り組んだのはリニアの仕組みを調べる実験と共同で問題点を掘り下げ、意見交換した2日間。今は最終的に自分なりの見解をまとめているところです。彼らは小学校3年の頃からこういう調べ学習ばかりさせられてきました。いわゆる実験校でこれが総合学習です。一つのテーマから全ての学習に発展します。そこには、国語も社会も理科も関連して含まれているのです。時として、給食のような日常的事柄、いろんな活動や式典だって学習の一部という感じでした。そのかわり、教科書を開く学習は数学以外あまりなかったようです。パソコンも低学年で導入されたので使い方はもちろん、必要に迫られローマ字もみんな文字を打っているうちに覚えたみたいです。中学に上がって、もちろん実験校ですから総合学習は行いますが、小学校とは方針がかなり違い、学力も重視するため、下の小学校から上がってきた子は初めての!?勉強に戸惑いがち。もちろん、総合学習ばかりやってきたからといって、本当はそういう調べ学習が好きではなくて、お座なりの子もたくさんいますし、はなからこういう学校の体制に合わない家庭は私立受験し、外へ出て行きます。ところが、うちの息子はかなり小学校で調教された(洗脳にちかい!?)とみえて、こちらでも総合学習では水を得た魚、勉強もはりあいをもって取り組み中です。小学校4,5年の夏休みでは、「やれる子だけする」自由研究でマンホールの蓋研究にはまり、あちこち歩いて600近くの蓋を撮影し、レポートにまとめたことがありました。でも、私も実は結構はまって楽しゅうございました。今、こうした総合学習はゆとり教育の産物として、見直されているんですよね。いきなり文部科学省のお役人の見解が変わってきて、我がモルモット君たちは、かわいそう。今度はどんな実験されるのかしら。朝から晩まで勉強しろ!っていわれるのかな。でも総合学習にまじめに取り組む子どもたちには実はだらだらしたゆとりはありませんでした。今もそうですが、まじめに取り組めば取り組むほどとにかく忙しい。時間が足りないほど。足で歩いて、調べて、研究して、考察して。だから、たとえば社会の歴史暗記物は調べ学習の最中に身につけています。今度の理科も、学習に密着したテーマから発展していますし。そうしたレポートをまとめることで、国語力を培い、漢字も覚えてただじゃ転びません。まぁ、これが理想としていた「生きる力」なんでしょうが、3年前公立校から、赴任してきた先生は「この学校だからそれができるんです。今の公立学校で万人に通用はしない。ふるいにかけられて入学してきた子どもに実践し、それが成功したとして、やがて私が地元の中学に戻った時、同じことを地元でしようとしても無理だと思います」とおっしゃってました。なるほどなるほど。だから国立の役割はもう消えたとか言われちゃうんですよね。複雑です。とにもかくにも、理科のレポート仕上がりが楽しみ。夏休み明け、先生の評価はもっと楽しみです。