聖母の被昇天の聖歌
聖母の被昇天の聖歌【聖母の被昇天の祭日について】 8月15日は、カトリック教会では、イエス・キリストの母である、聖母マリアの被昇天を記念する祭日です。この祭日の起源は、5世紀のエルサレム教会にまでさかのぼります。5世紀のエルサレム教会では、この、8月15日に、子である神としてのイエス・キリストの母の意味で、神の母マリアの記念が行われていました。6世紀になると、東方教会では、マリアの命日として祝われるようになります。これが、7世紀半ばに西方教会に伝えられ、8世紀になって、マリアの被昇天として知られるようになりました。 聖母の被昇天は、神の子イエス・キリストの受胎を、神のしもべとして受け入れたマリアの信仰を、わたしたち神の民=教会の信仰の模範とし、その意味で、教会の母となったマリアが、キリストの復活に結ばれ、神の国に受け入れられたことを記念する日です。 ちなみに、よく巷でも用いられる「マドンナ」ということばは、フランス語で「聖母」を意味します。【この日の聖歌】 聖母の被昇天をはじめ、聖母の祝祭日には、いわゆる「マリア様の歌」を歌うところも多いと思います。これは、ある意味で習慣のようになっているかもしれませんが、現代の神学から、今一度、反省してみましょう。 グレゴリオ聖歌を見てみると、聖母の祝祭日も他の日の聖歌と同様、必ずと言っていいほど、詩編唱のついたものが用いられています。交唱、『典礼聖歌』では答唱句に当たる部分も、詩編をはじめとする『聖書』のことばやそれを元にしたものが多く用いられています。 このような、教会の伝統に照らし合わせると、聖母の祝祭日にも、詩編唱のついた聖歌を、行列の歌として使いたいところです。 この他にも、伝統的に用いられてきた「聖母賛歌」を用いることもできるでしょう。この中で一番多く歌われると思うのが、『典礼聖歌』では、371「しあわせなかたマリア」だと思います。この曲については、このブログのリンクする、『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』のホームページ、「聖母賛歌」のところに【解説】と【祈りの注意】がありますのでご覧ください。 ところで、聖母賛歌は、元来、「教会の祈り」の中の「寝る前の祈り」の結びの歌として歌われるものです。以前は、それぞれ、歌われる典礼季節が決められていましたが、現在は、375/6「天の元后 喜びたまえ」を復活節に歌うこと以外は、任意となっています。ただ、372「救い主を育てた母」は歌詞の内容からも、やはり、待降節・降誕節がふさわしいでしょう。 他にも、数多く「マリア様の歌」がありますが、内容があまりにも、現代の神学に合わないようなものは、避けるようにしていただきたいと思います。このことについても、「聖母賛歌」の冒頭に簡単に書きましたので、参考にしてください。もちろん、「マリア様の歌」がすべていけないと言うわけではなく、現代の神学、特に、『教会憲章』第8章「キリストと教会の教義との中における神の母・処女聖マリアについて」を、よくお読みください。あまりにも行過ぎた表現のものは「カトリックはマリア教」という、誤った印象を与えかねないことにも気をつけたいところです。 これらのことを、参考に、この日の聖歌を考えてはいかがでしょうか?【Kyriale Cum iubilo 】 聖母の被昇天の祭日の「ミサ賛歌」は、この曲を歌うところも多いと多いと思います。この一連の曲と『典礼聖歌』の関係についても触れたいと思います。ここで、「ミサ賛歌」という聞きなれないことばが出てきました。以前は「ミサ曲」と言われてきたものですが、より、正確に定義するために、「ミサ賛歌」ということばを用います。詳しくは、ホームページの「ミサ賛歌」をご覧ください。 まず、Kyrie ですが、この曲はギリシャ語です。グレゴリオ聖歌はすべてラテン語ではありません。Kyrie は「主」の呼格、Christe も同じく「キリスト」の呼格、eleison は 動詞eleo 「あわれむ」の命令形です。ここで、特に気をつけたいことは、Kyrie とChriste それぞれのe の長いメリスマが、次の、e leison の e と一緒になってしまいやすく、それでは、肝心の「あわれみたまえ」という嘆願が、はっきりせず、祈りがよく込められません。Kyrie とChriste それぞれの e とe leison の e は、はっきりと言い換える(ただしやりすぎにもならない)ように気をつけてください。そのためにも、一度、この Kyrie をラテン語 "Domine miserere, Christe miserere, Domine miserere"で歌ってみるとよいと思います。 次の、Gloria ですが、グレゴリオ聖歌としては、音域も広く、高度な技術がいるものの一つです。この曲で二回出てくる Iesu Christe 「イエス・キリストよ」は、その音形から、自然に rit.しないでしょうか。おそらく、当時、この部分で跪く習慣があったことから、その動作にふさわしく作曲されたものと思います。聖歌は典礼に従属する、典礼の中で育まれるという、典礼音楽、『典礼聖歌』の基礎がここにもみられます。 二回出てくる、qui tollis peccata mundi は二回目が、ほぼ二度高く歌われます。これと似た手法は、204「栄光の賛歌」にも見られます。204では、この部分の旋律は、ことばに対応して、同じものとなっています。では、どこかというと、テノールのパートを見てください。二回目、「世の罪をのぞきたもう主よ」が、cis(ド♯)-D(レ)と、高い音で歌われます。作曲者は、生前、音楽大学の授業で、学生にこの Kyriale を歌わせていましたので、それを、この曲に取り入れたのではないかと思います。 Sanctusは、イタリアの作曲家レスピーギの『ローマの松』三部作の中の「カタコンベの松」に出てくることで有名です。レスピーギの他にもドビュッシー、ダンディ、メシアン、高田三郎などロマン派以降の高名な作曲家は、多くが、グレゴリオ聖歌をソレム修道院に学び影響を受けました。 Sanctus は、歌詞の内容からも、 Dominus Deus Sabaoth まで、一つのフレーズとして歌わないと、セラフィムの歓呼の声と合わなくなります。続く、 Pleni sunt ~は、シラビックで短い単語が連続します。ラテン語は語尾の変化で「格」が決まりますし、場合によっては、別の単語になってしまいますので、細かい、語尾まできちんと発音しましょう。教会ラテン語では"H" を発音しませんから、「アレルヤ」と同じく、 Hosannna も「オザンナ」と発音します。 Agnus Dei は冒頭の部分は、三回とも旋律が同じです。203同様、先唱者が歌いだしてもよいでしょう。Qui tollis ~、一回目と二回目は、旋律が異なりますから、祈りのニュアンスも異なると思います。会衆もそうですが、先唱者が歌うとしたら、最初の Agnus Dei も三回祈り方が微妙に異なるのではないでしょうか。 この他にも、聖母の被昇天、聖母の祝祭日の聖歌については、まだまだ、触れたいことがありますが、字数の関係もあり、今回はこのあたりにします。また、機会を見て、今回触れることができなかった曲なども、考えてみたいと思います.【参考文献】 『毎日の読書』第6巻(カトリック中央中央協議会 1990)