復活節アレルヤ唱
264・265 復活節アレルヤ唱【解説】 このアレルヤ唱は、作曲者も『典礼聖歌を作曲して』(オリエンス宗教研究所 1992 )の173ページで指摘しているように、グレゴリオ聖歌の「Ite Missa est alleluia」と共通しています。この派遣の祝福のことばは、復活徹夜祭~復活節第二主日〔神のいつくしみの主日〕の復活八日間と、聖霊降臨の祭日(主日)にだけ、荘厳に歌われます。【祈りの注意】 このアレルヤ唱の詳細は、上掲書にも書かれていますが、もう一度確認しておきたいと思います。 楽譜の上にある、小さい縦の線は、「エピゼマ ヴェルティカル」と言って、2と3の自由リズムの1拍目=テージスにあたります。ですから、このアレルヤ唱の場合、最初の八分音符は、アウフタクトの2拍目=アルシスから始まります。四分音符は八分音符二拍になりますが、最初は必ず1拍目=テージスになります。また、ことばが延びていて連鈎になっている八分音符の最初も必ず1拍目=テージスになります。 楽譜の中ほどにある記号「’」は「主の祈り」などでもおなじみの息継ぎの記号で、この記号の前にある四分音符の中から少し、音をもらって、一瞬で息をして、次の八分音符に続けます。この「’」のあとの八分音符は、一つだけ独立しているように見えますが、この「’」をはさんで、前の四分音符が1拍目と2拍目で、この八分音符が3拍目になります。ですから、この息継ぎが八分休符になったり四分音符が延びるたりしてしまうと、この部分の、3拍のリズムが崩れてしまいますから、このようなことのないように気をつけてください。これらは、「祈りにならないので、絶対にしてはならないこと」なのです。 また、最初の「アレルヤ」の四分音符が必要以上に間延びしているのを聞くことがあります。すなわち「アレルヤーー」というように歌われているものです。これも、同じく祈りになりませんから絶対に行わないようにしてください。 「アレルヤ」ということば自体、「主(ヤー)をたたえよう」という意味ですから、その意味にふさわしい、テンポリズム感を持った歓呼の叫びにしたいものです。 「アレルヤ」の繰り返しの間になる、唱句の部分は、前半に二つの全音符がありますが、この二つの全音符の変わり目では、基本的に、間をおいたり、息継ぎをすることはなく、これも、一息で歌ってゆきます。ただ、例外として、この、変わり目の部分のところが、四分音符(B=シ♭の音)になる場合があります。264の場合は、 復活節第4主日 「わたしはよい牧者」 復活節第5主日B 「わたしのうちにとどまりなさぃ」 復活節第5主日C 「新しいおきてをあなたがたに与える」復活節第6主日 「わたしを愛する人はわたしのことばを守る」聖霊降臨 「聖霊来てくださぃ」の各箇所です。週日の場合は、他のアレルヤ唱の唱句をこの旋律で歌う場合もあるので、カトリック中央協議会から発行されている『別冊 毎日のミサ 楽譜 アレルヤ唱・詠唱』の52~63ページをご覧ください。 後半の楽譜で、字間があいているところも、間をおいたり、のばしたりしないで、八分音符の連続で歌ってゆくのは、いつもの、詩編唱での注意と同じです。 最後に、二つ注意したいことがあります。 その1は、三回繰り返される「アレルヤ」と、それに、はさまれた唱句のテンポがあまり違わないようにすることです。 その2は、唱句の後、「アレルヤ」へ戻ったとき、必ず、最初に歌いだしたテンポで歌うことです。特に、これが、難しいようで、せっかく、唱句の最後までは、よい歓呼の叫びだったのに、最後で、しまりがなくなってしまうと、それまでの苦労が水の泡となってしまいます。 アレルヤ唱は、すべて、その後の福音でわたしたちに語りかけてくださる、主キリストを迎えて歌う、歓呼の叫びです。特に、復活節の間は、その歓呼を、復活の喜びにふさわしいものにしてゆくのに、努力を惜しむ必要があるでしょうか?《このアレルヤ唱のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』