若久剣道 新年会( *´艸`)
1月20日(土) 若剣新年会14日(日)に壱岐南剣友会の昇段祝い&新年会があったばかりで、今日20日(土)も、若剣(指導者グループ)の新年会が 喜多屋でありました。 若剣の指導者グループ カワイイ20歳の娘がオッちゃんたちの中に。。。!オッちゃんたちニコニコよ 嬉しいーねぇ~。酒の稽古は、剣の修行めっちゃ楽しいっちゃけん子どもの話とか、試合の話、審査の話、仕事の話、若剣の歴史等々。先ずは、50年前の若剣の話を、自分が語る。50年前の若剣は、広光秀国九段範士が指導(故人) その頃、若剣で稽古していて今現在広光先生を知ってるのは自分だけ。広光先生から教えられた剣道。三段の審査会で。三段に合格し先生が見ていたので、喜んで貰おうと「先生、三段合格しました~。」と喜び勇んで先生に報告に行った。「バカモーンワシは、そんな剣道を教えた覚えはない」「ワシが、審査員だったら落としていたぞ」審査は、と言うと相メンの機会が3度あったのに3回とも打たれたが、自分も合格。相手が強いから仕方ないと思った。その頃「お互いにメンを打つときは、相手より、速く打て」と、先生に口が酸っぱくなるほど教えられていた。若剣で先生は、みんなが見てる前、大学生のY下さんと稽古してました。ワシは「Y下くんには、何回でも勝てる」先生は、80才位のじーさまでしたが大学生のY下さんに相メンで圧勝。凄かった~~昇段審査の合否は、相メンで決まるのだと。。。今も広光先生の言ってたことを思い出して稽古しています。昔の昇段審査は、厳しかったとよ。ほぉお~!中学生の頃オレは、広光先生から結構可愛がられていた先生の家に遊びに行ったことあるし。。。この子は、めっちゃ弱いのに、試合が大好き。面白い子だなぁ~と思われていた。広光先生のイメージは、世間一般、真面目で素晴らしい人。剣道の本にも書かれている。(教育者でした)オレの知ってる広光先生は、ゆかいな じーさま。オレをコンニャクのオバケとか、面の付け方がラッキョウの逆立ちだとか。。。他の子も、みんないじられてたとよ。自分が教えたのに、若剣の剣道は、ニワトリの喧嘩!(今、だったら、パワハラ発言)昔の剣道やってた子ども 忍耐力があったな。的をついて入るので、笑ってたねぇ~なんじゃそりゃ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~I先生、N先生の通っていた45年前の○△□大学の剣道部。最高~~今は、真面目な生徒さんが通う学校だけど、当時は違ってたらしい。1年生の時、剣道部の稽古は、切り返しと、掛稽古ばっかり。スゴク厳しく、ボコボコにされてぶっ倒されて水をかけられた。先輩の言うことは何でも服従の縦型社会。稽古が終わり、寮に帰ると、先輩に酒をゴボゴボ飲まされる。酒を飲んで、校歌に応援歌ナド、歌わされ間違えたら ぶん殴られる。酔いがさめてないのに毎日、朝練がある。 自分は、2年生になる前に死んでしまうのではないか? と思ったらしい。ある日、先輩が、「たまには肉が食べたいな」。。。さぁ~大変何とかしなければ。。。1年生たちは、夜中に学校の飼育小屋に忍び込みニワトリを一羽拝借。ニワトリのしめかたを知らないので、生きたまま包丁で首を切って鍋の中に。ニワトリは、大暴れして大変だったなぁ~水炊き鍋にして先輩に持って行ったら「それ、どーしたんや」先輩が肉を食べたいと言うので持ってきました。先輩 啞然とした顔で、「おれは、知らんぜ~」大爆笑 マンガだねぇ~そんな学校 あったんかい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~高校生の時の自分の話。自分の高校の剣道部は、赤点1枚に付き メン打ち100本しなくてはいけなかった。オレ メン打ち700本やった。記録保持者やったとバイ!大爆笑赤点7枚も取ったんね~ スゴかぁ~剣道部の先生は、「剣道部の稽古に来なくていいから、家に帰って勉強しろ」夏休み オレ一人だけ 職員室に行って勉強させられたのが懐かしい。今日は、ハチャメチャ喋りまくって楽しかった~。