レアチーズケーキの思い出とベートーヴェン
食べ物の好き嫌いってありますよね。大人になってからの私は、殆ど好き嫌いがなくなりましたが、子供のころを思い返すと苦手だったものがいくつも思い出されます。そんな食べ物の1つがレアチーズケーキです。大学で師事していた先生の好物で、今は私も大好きですが、子供のころは絶対食べられないものの1つでした。::::::::::::::::小学2年か3年生のとき、誕生日に友達のお母さんがケーキを買って持ってきて下さったことがありました。箱を開けて愕然・・・中にはレアチーズケーキが・・・子供ながらにちゃんとお礼を言わなくちゃ、そして今ここで食べなければばらない!とすごく緊張したのを覚えています。見るからに高そうな感じで・・・子供でもこういうのってなんかわかるんですよね。::::::::::::::::::覚悟を決めていただいたレアチーズケーキ・・・その時初めてこれはとても美味しいものなんだとわかりました。今まで食べたことのあったものとの味の違いに驚き・・・きっとそれまで苦手に思ってしまっていたレアチーズケーキは、ホンモノではなかったのではないかと思いました。その日以来レアチーズケーキが大好きになって・・・今に至ります。:::::::::::::::::::::さて、食べ物と同じく、曲にも好き嫌いというのがあると思います。心地よく響く曲、いつ聴いても感動できる曲もあり、また、価値はわかるものの曲に馴染めないということもあったりします。でも、ふとしたきっかけで今まで魅力的に思えなかった曲が突然好きになることってあります。 私にとっては疑問だった曲を友達が演奏しているのを聴いて、この曲ってこんな素敵だったんだと思ったこと・・・何回もありました。::::::::::::::::::::::レアチーズケーキの一件と一緒かも知れませんね。友達の演奏は、作曲家がその曲に込めた思い、託したメッセージを・・・そして、ホンモノの何かを私に語りかけてくれたということでしょう。::::::::::::::::::::::さらに話を進めて、ベートーヴェンと私についても述べたいと思います。思い出してみると、ベートーヴェン・・・昔は苦手な作曲家の1人でした。ベートーヴェンは少しずつ弾くようになったらいつしか好きになっていて・・・コンサートではあまりこの頃ベートーヴェンの作品を取り上げていませんが、やたらと弾きたくなってベートーヴェンしか練習しないという日があったりします。そういう日は、彼の音楽にどっぷり浸からせてもらうことにしています。:::::::::::::::::::::::さて、ベートーヴェンが28歳の時に書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」の文中には、自分は人を避けているのではなく、耳が聞こえないということを知られたくないのだということがかかれています。 『自分は誤解されているのだ』というその意味合い・・・彼の芸術的理念にせまる演奏、それはそう簡単に成し遂げられるものではありません。しかしベートーヴェンの言葉は、私たち現代の演奏家にも、ただ単に好きで演奏するということではない深遠なものを、深い理解を希望しているように感じられます。::::::::::::::::::::::::人に何かが伝わったとき・・・その瞬間私たちはお互いに感動とか共感で結ばれているのではないでしょうか?音楽は人と人を繋ぐ正に心の共有を育む芸術であると思います。大作曲家とお客様、そして私たち演奏家を結ぶ心の絆を大切に演奏したいものです。私のこの心がけがホンモノであるよう、そして曲へのアプローチが誤解では絶対にないこと・・・それをいつも祈りつつピアノに向かっています。長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。PS,写真は、ウィーンのベートーヴェン記念館で撮ったものです。シュタイン社製のピアノは、ベートーヴェンが弾いたかどうか不明ですが、譜面台は使用したとの言い伝えがあります。自己中心的な考えに陥ったときや 無感動、無気力な状態になってしまったときは、特にベートーヴェンの音楽に、そしてその言葉に励ませられます。そして『誤解』から自分を解放する勇気も貰っています。