再会
ブログを書かなくなって久しいので、果たして今でもオフ会のことをオフ会と呼ぶのかどうか、検索してしまった小心者の私。最後のオフ会っていつだったんだろう・・・先月、久しぶりにブログを書き、たまっていたネタをつづっていたら懐かしい友達からコメントをもらった。コメントの最後に「お会いしたいです」と書いて下さってたので、私も「懐かしいな。私もポポロンさんに会いたいわ。 韓国に来ることあったら教えてね。みんなで会おうよ~」すると「行く予定あるんです!! どうやったら連絡取れますかね~~?」だって!!!あら大変すぐに日頃あまり使ってないSNSのメッセンジャーでこちらから連絡。ポポロンさんが韓国にいらっしゃった頃によく会ってた奥様方にも連絡。よく考えたら、そのうちの何人もの奥様方が日本やその他の国に移住し、現在も韓国で暮らしてる奥様方は多くない。でもポポロンさんのおかげで、何年振りかで当時のお友達にも連絡が取れ近況も聞けて楽しかった。で、会いたい、会おうよ、って言ってから1週間後に10年ぶりの再会。あはは10年も会ってなかったのに、会いたい、って言葉にしたら1週間で会えちゃったわ場所はソウルのソンス洞という地区。同じく10年近くお会いしてないエムさんが「最近はソンス洞がホットらしいよ。」と教えてくれたのだ。さすがソウル在住だわ。奥さんなんてソウルって言ってもなんとか市場しか行かないから。そして、待ち合わせの時間。ああ、もっと痩せておけばよかった、もっとお肌の手入れしとくんだった、奥さんだってわからなかったらどうしよう・・・などと心配してたんだけど、駅の構内うろうろしてたらポポロンさんが「きゃ~~~~~パンダさ~~~~~ん!!!!! 全然変わってない~~~~~~」とハグしてくれて、要らん心配も10年のブランクも吹っ飛んだ。元々、工場や資材倉庫をリノベーションしておしゃれなカフェや雑貨屋さんがぽつりぽつりと並んでいる。どこでもいいのだ。長居して10年分のおしゃべりができればレンガ造りのおしゃれカフェがあったのだけれどマダムが出てきて「ごめんねぇ~11時からなの~~~」11時20分なんだけどね。そこからほどなく、美味しそうなランチののぼりを見つけて最寄りのコンビニに突撃。 コンビニでお店の場所を聞いたら、ほんの数軒となりだった。さっきのマダムの店も、コンビニもポポロンさんが果敢に突撃してくれた。素晴らしい韓国語!素晴らしい勇気!!小ぢんまりした清潔なレストランでお昼をいただき、いよいよカフェ探し。東西南北ちょこちょこ歩いたが、ここ!と決められないまま歩いていると、店頭にあんパン、大福、かき氷(パッピンス)・・・え?あんこのお店??あんこカフェ??吸い込まれるように中に入ると、親切な青年バリスタが日本語で丁寧に説明してくれた。イケメンだったかどうかはわからない。でも親切で日本語話せるというだけで5割増し。 奥のソファに座り、ようやく10年分のあれやこれやを語り合う。ポポロンさんは今は日本に住んでいる。 ポポロンさんを始め、何人もの日本人奥さんを見送った。日本に暮らせるというのは正直羨ましい。けれど、どちらか一方にホームということはもう片方にはアウェイということになる。外国暮らしは暮らすだけでも大変。外国人に囲まれて働くとなったらもっと大変。ニュースで日韓関係が話題になると、誰も何も言わないのになんとなく気まずい気持ちになる。もちろん私はいつでも何か言われたら反論する準備はできているただ、そういう「即、戦闘モード」という自分の状態に疲れてしまう。相手の国が好きで好きでアウェイだと思わない人もいるだろうけれど私は今でも韓国には慣れていないし、慣れたくない自分もいる。ポポロンさんやエムさんと知り合ったのは、私が韓国に来たばかりの頃でみんな同じような葛藤を抱えていたと思う。私は毎日のようにパンをこねていた。嫌なことがあると生地を叩きつけていた。オフ会があるとパンや焼き菓子を持参した。当時はまだパン屋に美味しいケーキも焼き菓子も少なかったので素人が作ったものでもそこそこ美味しいように思えたのだ。ポポロンさんもエムさんも、いつも私のパンや菓子をほめてくれた。お店をやったらいいのに、とか、私買いに行きますとか、お世辞でも嬉しかったし、パン屋を開くとかカフェをやるとかなんでもいい、嘘でも構わないから夢のようなものを描いてないと現実が辛すぎた。エムさんは製菓学校の出身だったと思う。そのエムさんが、毎日焼いてる主婦のほうが美味しい、みたいなことを言ってくれたことがあって、それがとても嬉しかった。大げさかもしれないけれど、そういう優しい励ましがあの頃の私を支えてくれていたのだと思う。10年ぶりに会うことになって、何か焼いていこうかと思ったのだけれどもうたまにしか焼いてないし、あの頃とはオーブンも道具も違う。腕も落ちた。あの頃抱えていた苛立ちや寂しさややり切れなさそういうものと多少うまく付き合えるようになった。図々しく厚かましくなったということだけど。店は静かで居心地が良かった。お互いの家族のこと、実家の話、仕事の話、子供の話・・・なんでだろう、スーパーポジティブのポポロンさんのおかげかなほんわり優しいエムさんのおかげかな会話に一つも不満や愚痴が出てこない。なんか、明日からいいことだけが待ってるような、そんな気がするくらいだポポロンさんが九州のお土産を下さって、子パンダへのお土産もありその場で子パンダへのメッセージも書いてくれた。私も一言メッセージを書いてきてよかったと思った。エムさんからのお土産は娘さんの描いた絵本だった。絵も色も文章も生き生きしていて、素敵な絵本だ。娘さんの写真も載っている。こんなに大きくなって私もカッティングボードを取り出した。ちょうどいい包みがなくて、市場の黒いポリ袋で申し訳なかったしそれ以上に、手作りのお菓子やパンでないことが申し訳なかった。それを隠すように、えへらえへらと笑いながら「ほんとは何かお菓子でも焼いてこようかと思ったんだけど もう長いこと焼いてなくて、 そんなに美味しくないかも、と思って・・・」と言い終わらないうちに二人ともポリ袋から中身を取り出したと思ったらポポロンさんの大きな目から涙がぽろぽろこぼれててエムさんももらい泣きして私も泣いた。帰りに地下鉄の出口で紅玉を見かけた。パイやジャムに向いている固くて酸っぱいりんご。出回ってる時期が短いので去年もおととしも買いそびれた私。「紅玉だね」エムさんが言うので間違いないわ。「̪シオモニ(お姑さん)に買っていこうかな~」とポポロンさんが言うと、りんご売りのおばさんは「シオモニは紅玉きらいだよ~酸っぱいもん~」と笑っていた。エムさんと別れて、ポポロンさんと同じホームに向かった。「あ、電車来たかも!」階段を駆け下りてギリギリ乗り込んだ!閉まりかけのドアが私の肩に触れた。(あ、挟まれる?)でも肩に触れたので、またパッと開くものだと思ったらなんと、そのまま閉まってしまった。私のかばんと紅玉の袋がドアの外側。ポポロンさんとドアのボタンが無いか探したが、無い。(無いなんてことあるのか?)このままかばんと紅玉が挟まったまま、次の駅まで行くのか?ちょっと想像したら可笑しくなった。もう半ば、覚悟を決めたところで、ホームからボタンを押してくれた人がいてその人も電車に乗り込んできて、かばんも紅玉も無事だった。その後、しばらくポポロンさんと笑いが収まらずひとしきり笑った後、あっという間に私が降りる駅に着いた。「ありがとうね、また会おうね。」別れる時はいつも同じ言葉だ。次に会えるのはいつだろう。会いたい、と思ってる人はいっぱいいるけれど会おう、と言ってくれる人はそう多くはないし自分から誘うとなるともっと少ない。会いたい人には会っておかないと。と、この年になってつくづく思う。次は下手くそでもいいから、やっぱり何か焼いていこう