ぱんず(母)の父のこと、どうありたいの?
父は66歳。ぱんず(母)の母と33年前に離婚しています。ぱんず(母)の母とは戸籍上2回入籍していたようで。。一緒に暮らしていた記憶はほとんどありません。小学生の時にご飯の時に父がいるといつも怒られていたことや週末釣りに連れていかれて鯉づりをしていた父を覚えています。父親としての役割を果たしていない父だととらえています。そういう父だとも思っています。ただ、父と母がいたからこそ、今の私がいる。私がいるから、ぱんず姉妹がいるというつながりがあります。父は離婚してから新しい家庭をもち、家族もいます。新しい家庭の弟や義母と連絡先を交換しています。それは2月に父がうちへ来たことがきっかけでした。定年退職して、仕事をしていません。下の子どもは大学生です。大きな子供が二人いる家庭には父の居場所はありません。いろんなことでてんやわんや。。父の話を聞く限り、なぜ離婚しないのだろう?とおもうくらい(^^)仕事も居場所もないなら、こっちへきてしばらく暮らしたら?と誘いました。母が2年前に亡くなった連絡を父にしたのですがその連絡をしたのも3年ぶりくらい。。「あの人死んじゃったの??」と笑っていた父。まぁ驚いたのでしょう。その後、母の火葬に来てくれました。その時は心強かったです、私が喪主だったので。その後父は自分の持っていたお墓を墓じまいしました。3代顔がわからなければお墓参りをするということもなくなってしまう。。母は合同墓に入ってもらいました。そこは13年たつと自動的に埋葬されます。そういった話を父としてきました。そのあと、私たちが移住する3か月ほど前父がスマホへ機種変をしたのです。その後毎週2,3回はランチをしながらスマホ講座。「見えない、おせない、わからない」を連発する父。自分の家族には聞けないらしいです。家族って何だろうとおもった一瞬。。私の隣では、ぱんず(妹)がタブレットを使いこなしている。。「じいちゃん、自分でいろいろ押して探すんだよ」と言われる場面も(^^)そして、なんとなく使えるようになったと思ったら今度はフリマアプリをやりたいと言い出してさらにスマホ講座は続き、2月に来た時もスマホの使い方を説明していました。やろうとするこころもちがすごい!そして島へ来た1週間の間、初めての3世代同居をしました。お互いに仲良くなろうとか、気を使うことはしません。好きなように過ごしていました。今までの生活とはかけ離れた生活に父は感情を大きく出していました。リアクションでかっ!!というくらい。。いつもなのかな?その間、釣りに行ってはアジや魚を釣ってきて、処理する日々。。父とたくさん話をしました。今までで一番長い時をすごしました。埼玉へ戻ってもし亡くなっても、父との思い出はできました(^^)父と話していて、いったい父はどうありたいんだろうとおもうようになりました。父に「あと何年生きられると思ってる?」ときくと「10年くらい」との返事。「そんなに体悪くて気を付けようとしてないのに10年生きられないでしょ、5年くらいじゃないの?」というとだまる父。年を重ねていくと日々の生活態度や食生活がとても重要になってきます。今の自分の生活がしんどいのか、幸せなのか、満足なのかよくわかっていないようです。66年生きてきてわからないままってどうなの?という疑問。後悔してることはだれでもあること。後悔しないためにどう生きたらいいか考えて動くしかないこと。後悔はしてもいいし、そうなるときもあること。今が一番若い時だということ。父が亡くなった時に残すものを考えて整理すること。最後にどうありたいか、とかいろいろ考えていかないと人生がおわること。父の人生が生きてきた年月よりも、残された年月の方が短いこと。一つ一つ伝えましたが、少しでも響いてくれますように。。父の様子をみていたら、父も発達のメガトン級なのを黙認しました。60代でいろんな物の忘れようはすごい!自分が持ってきたものなのに覚えていないとか気を付けようとかしないできたのもすごい!家族がおもいやられるわけだわ。。さて、その後どうするのか聞くと来月に一か月来るようなことを言っていました( *´艸`)ほんとは海にかかわる仕事がしたかったけどあぶないし、なかったので畜産をやってみるそうです。どうなるのか。。★ランキングへ参加しています。・携帯の方はこちら 人気ブログランキング にほんブログ村