テーマ:映画館で観た映画(8366)
カテゴリ:音楽と映画・ドラマ・TV
さかなの子、ポニョと、崖の上の家に母と一緒に住んでいる宗介の恋の物語、といってしまえば、そうなんおだけれども、この映画はもっと深いある種の思想さえもが伝わってくる映画。おとなでも、十分に楽しめる。 宗介の母は、反対側の陸の上にある老人介護施設で働き、宗介は、そこに隣接する保育園にかよう、男の子。父は、遠洋漁業かなにかわからあいが、船舶の仕事で長く家を留守にしている。宗介の住む崖の上の家の沿岸を船が通る時、お互いにライトで合図をする。 一方、ポニョは、おさかなだけれども、人間の世界に興味があって、海の世界から人間の世界にやってくる。しかし、人間の住む陸のそばの沿岸はゴミだらけ。 ぽにょも、人間が捨てたビンに頭を突っ込んでしまい、身動きが取れない。 そんなポニョを偶然、助けたのが、崖の上の家から、坂道をくだって、海岸でおもちゃの舟で遊んでいた宗介だった。宗介は、そのおさかなをポニョと名づけ、大切に飼う。保育園に持って行き、老人介護施設のおばあちゃんたちに見せたりする。 しかし、ポニョはいったん、人間の世界をすてた男に、海の中へ連れ戻されてしまう。 その男は、実は、人間の世界に嫌気がさして、海の妖精と結婚して、海の中で生活していたのだ。 ポニョは、どうしても宗介に会いたくて、脱出する。人間になりたいポニョは、いつのまにか手足が出てい来て、おんなの子の姿になり、台風の大波の上を駆けながら、宗介に会いに来たのだ。 ここから先は、ネタバレなので書かないが、 この映画をみて連想したいくつかの映画との違いを書いてみたい。 まずは、「ニモ」 あれも、海の世界から、陸の人間の世界につれさられたニモを探して助ける話だが、 あそこに出てくる、海の生物、魚たちは、擬人化されたシンボルであって、 みにくい人間の大人の世界と、純粋な子どもの世界を対比させただけで、 結局は、人間中心の世界を描いていると思う。 もうひとつ思い出したのが、「E.T.」 あれも、遠い宇宙からやってきた知的生命体が、人間よりも高い知能をもっていて、 LAの子どもたちと心をかわし、人間の言葉も話すようになるが、やっぱり、故郷の宇宙に帰っていく物語。人間の側から、宇宙には他の知的生命体がいる、ということを描いた映画。 しかし、「ポニョ」は、もっと大きくて、普遍的なテーマに貫かれていると思う。 それは、「生物多様性」という考え方。 今は、「地球温暖化」と、それをくいとめるべく、石油文明からおさらあして、CO2を大量に排出しない「低炭素社会」への移行が世界的な課題になっているが、それと同じような危機意識として、 地球上の生物多様性の衰退は人類の福祉や持続可能性に対する脅威であるとの認識が広まっている。地球温暖化と同様、国際社会全体での対応を必要とする大きな課題であると考えられている。 もちろん、「地球温暖化」が、地球の気候や生態系を急激に変化させてしまい、多くの生物が絶滅にむかっているので、この二つの問題は表裏一体なのだが。 で、ぼくは、「崖の上のポニョ」という映画は、この「生物多様性」の大切さを、非常にわかりやすく表現しているのではないか、と思う。 自然、多様な生物が生きる自然の中では、さかなも人間も、いち生物種として対等であるということ。 そして、ついちょっと昔の日本では、そうした自然の中の一部が人間であり、いかに自然と人間が共生するか、もしくはいかに人間が自然の中の一部であるという認識で、自然に畏敬の念を持ちながら活動していたか、ということを思い起こさせてもくれた。そもそも、現代社会の「自然」対「人間」という考えは、無かったのだということ。 「ポーニョ、ポニョポニョ、さかなの子、 青い海からや~って来た。 ポーニョ、ポニョポニョ、女の子。。。」 この音楽が、とってもよくて、今でもエンドレスで頭の中でぐるぐるまわっています。 CGではなく、手書きにこだわった柔らかい曲線。色彩。 ぜひ、大人も子どもも、家族でも、カップルでも、ひとりでも、この映画を楽しみながら、根底に流れているメッセージを感じ取ってください。 まるで、生きているかのように、ひとつの生き物であるかのように描かれる、大きな波、海のうねり。 そう、海は、地球上のすべての生命体の源である、ということを。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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