海津市 歴史民族資料館、その1 (岐阜県)
先月の初めですが、ふと思い立って、岐阜県海津市にある 海津市 歴史民族資料館 に行ってきました。子どもの頃は自分たちの生活に関する歴史とか、それほど興味はありませんでした。でも大人になり、自分の価値観や視点が変わってまた見聞したとき、けっこう面白いものだったりします。濃尾平野に住み、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の恩恵を受けて暮らす私にとって、この大河川に関することはとても興味深いことです。海津市の歴史民族資料館は、見やすい展示資料がたくさんあって、なかなか良いところです。以下は、野外展示の 『堀田』 の案内板をまとめたものです。低湿地の生産性を高めるために、湿田の一部の土を順に堀り上げ積み重ねていくと、低い土地は水がたまって池沼(掘潰れ)となり、土を積んだ土地は耕地(堀上田)になります。この掘潰れと堀上田を合わせて 「堀田」 といいます。重たい泥土を掘って積む作業なので、とても重労働でした。海津町には昔はたくさんの堀田があり、近くを流れる川と堀田の幹線水路が直結していたため、交通手段は田舟による水上交通が中心でした。ほとんどの農家が田舟を持っていて、農作業時の往来はもとより農具や収穫物の運搬、日用品の町への買出し、また大きな舟では農耕用の牛や掘った泥土の運搬など、さまざまな用途で使われていました。 今はもうこの界隈に「堀田」はないので、この資料館で復元しました。下の画像は 『ゐのくち式渦巻きポンプ』 で、昭和2年から昭和56年まで油島地区で使われた排水機です。 歴史民族資料館の横を流れる大江川にかかる橋から見た資料館。幕末の動乱期に世に名を馳せた 『高須四兄弟』 を輩出した地なので、資料館もお城のようになってます。 建物をこんなにも高くするのには、理由があるのです。 この海津の地は、木曽川、長良川、揖斐川に挟まれた地で、土地が川底よりも低い集落もあり、昔から水害に悩まされてきました。それゆえこんなにも堤防が高く、ここでそれを示しています。