2020年になりました / 年末の映画『風と共に去りぬ』の感想です
2020年になりました。皆様、本年もよろしくお願いいたします。m(_ _)mなんか慌ただしく過ごしているうちに、私の年末年始の時間が過ぎていく感じです。そんな中、大晦日の昼間、何気にTVをつけたらNHK-BSで昔の長編映画の 『風と共に去りぬ』 がちょうど始まったところでした。長編の映画なので見ないでおこうと思ったけど、画像がデジタル加工されてすごく綺麗だったので、思わず録画ボタンを押しました。そしてン十年ぶりに改めてこの映画を見直すと、若い頃にはわからなかった/気が付かなかったことが各場面で次々と出てくるではないですか。例えば主人公のスカーレット。良く言えばどこまでも自分に正直なだけなんだろうけど、勝気でいつも自分中心でいたくて、贅沢が大好きで、思い通りにするためなら嘘でも愛のない結婚でも何でもアリで、とにかく同性から嫌われる女の代表です。でもこの思考がなければ、南北戦争で荒廃した生活を立て直して一族が暮らしていけなかったのでした。そして若い頃は好きじゃなかったレット・バトラー。でもこの歳になってやっとわかりました。にやけた感じで爽やかさは全然ないけど、この人の思考や行動はまさに “男の中の男” ではないですか。ふざけた言葉とは反対の冷静沈着にしっかりと先を読む力、危機脱出のときの瞬時の判断と行動力と腕っぷし、立場や力が弱い相手を思いやる優しさ、今はどうするのが最善かを考えて事を有利に運ぶための交渉術、etc・・、うーん、どれも素晴らしいものです。なんか長編映画を見たというより、理想の男性像がそこに描かれていたことを改めて知った、という感じでした。他には、誰にでも優しくて穏やかで決して悪口を言わず、スカーレットとは正反対で誰にでも好かれ、周囲に絶対に敵を作らないメラニー。でも彼女は、いざというときには強さを見せた人でした。また、あの当時の社会を描いた部分も興味深いものでした。身分は奴隷であってもオハラ家では良くしてもらっていた黒人たちは、ビッグ・サムやマミーをはじめ皆オハラ家で生き生きと働いていました。特に召使いのマミーは、自分が育てたスカーレットや後にスカーレットの夫となり仕える主人となったバトラーにも、躾やたしなみのことでは強気でバンバン意見していました。もちろん主人のスカーレットが怒って「お黙り!」と言うときは引き下がりますが。当時のアメリカ南部の人々の価値観、ドレスや帽子などの装束、場面場面の背景、南北戦争後の貧しさと混乱の中を生き抜くために綺麗ごとを捨てた女たちの姿など、まさに見所がいっぱいでした。まあ本筋は、惚れた我儘女にどこまでも尽くした果てに、あることで心の糸がぷつっと切れて女の元を去っていった男と、我儘の度が過ぎて最後は男に捨てられたのだけど、なまじっか自分で生きる力があるためダメだと悟った後の立ち直りが異様に早い女の物語、ってとこでしょうか。正月早々、身も蓋もない言い方でスミマセン。我が家のペット連のリーダー、小太郎から皆様にご挨拶させていただきました。