大河ドラマ『光る君へ』第37回~「波紋」
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は、前半の当時の製本作業と、そして宮仕えの仕事が充実して楽しくて仕方がないまひろ(吉高由里子さん)が久しぶりに実家に宿下がりしたものの、そのあまりの浮かれっぷりに父も弟も家人の皆も呆れ、娘の賢子(梨里花さん)は傷ついて怒りが爆発する場面に見入っていました。まひろは賢子のことがふと気になって帰ってきたはずなのに、酒に酔った勢いもあってか、あるいは皆が自分の宮中での土産話を楽しみにしていると思っていたのか、ずーーっと自分のことばかりしゃべり続け、賢子のことを気に掛ける様子はありませんでした。多少興味のある話でも、マシンガントークの人の話を聞き続けるのは疲れると思います。ましてや自分に関心がない母の自慢話を10歳の子が一方的に延々と聞かされても、面白くないですよね。賢子なりに母を理解して、ふだんは質素な暮らしでもそれなりに皆と楽しく暮していたでしょう。なのにまひろの無神経な振る舞いで、賢子は我慢していたことが怒り爆発になりました。これはもう、実家に戻って気が緩み過ぎたまひろの、さらには気を緩められる実家があることへの有難みがわからなかったまひろの落ち度だと思います。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘5年(1008)秋、帝(一条天皇)の子を懐妊して実家の土御門殿に帰っていた中宮・藤原彰子(見上愛さん)は無事に敦成親王を出産し、しばらくしたら内裏に戻ろうかという時期でした。彰子は母の源倫子(黒木華さん)に、帝への土産をここで作っていきたいと提案し、それは藤式部(まひろ)が書いた物語を美しい冊子にしたいというものでした。娘の彰子の提案で左大臣の藤原道長はすぐに動き、最高級の紙を何種類もたくさん用意して彰子に届けました。ただ彰子があまりにも藤式部を頼りきっていて、そのため藤式部は倫子や他の女房たちに時折り不快感を持たれていました。土御門殿で一斉に冊子づくりが始まりました。各巻に合う紙を選んだら清書は藤原行成をはじめとする何人かの能書家に依頼され、それが仕上がって戻ってくると次は藤式部(まひろ;吉高由里子さん)や宮の宣旨(小林きな子さん)他女房たちによって、さらには中宮・彰子も加わって、冊子を紐で綴じたり表紙をつけたりなどの製本作業が進められていきました。そして皆の頑張りで、源氏の物語の見事な冊子が出来上がりました。冊子が完成し、内裏に戻るまではまだ日があったので、まひろは彰子の許しを得て宿下がりをして実家に戻りました。まひろは彰子から土産として高価な酒や菓子や昆布などの他、白米も俵で持たせてもらい、見たこともない数々の高価な品に実家で仕える者たちは、これが中宮様のお側で仕える人の土産かと誰もが目を丸くしていました。父・藤原為時(岸谷五朗さん)はまひろの働きをありがたく思い、まひろは父に娘の賢子(梨里花さん)の養育をまかせっきりにしていることを詫びました。久しぶりに会った娘の賢子はすっかり背丈も伸び、帰宅した母に挨拶もできるほど成長していたのですが、母に対する態度がどこかよそよそしいものでした。また久々に帰った実家は、まひろの目にはどこかみすぼらしく感じられました。その日はまひろが持ってきた高価な食材で早速ごちそうが作られ、まだ日が明るいうちから延々と身内の皆でのささやかな宴が開かれました。まひろは内裏での暮らしや出来事を土産話にあれやこれやと皆に話し、弟の藤原惟規(高杉真宙さん)も時折り相槌を打っていたし、皆も興味深そうに話に耳を傾けていました。しかし酒が入っているせいか、まひろの話は夜になっても延々と止まることなく続き、ところどころで自慢話も入って、聞いている皆もいいかげん疲れてきたし、特に娘の賢子は母の話にうんざりしていているようでした。まひろは父の為時や惟規にたしなめられても意に介さず、一人で愉快そうに話し続けていました。まひろが実家に帰ってきたのも束の間、翌日にはまひろが傍にいないことを不安に思う彰子から早速、土御門殿に戻ってくるよう通達がありました。為時はまひろの立場を理解していましたが、あっという間に戻っていく母に対して賢子の不満と怒りが爆発しました。何しに帰ってきたの?内裏や土御門殿での暮らしを自慢するため?内裏での贅沢をなぜここで嬉しそうに語るの?と。そして賢子はまひろが嫡妻でないから自分たちが苦労をするのだとも。まひろが、自分は宮仕えをしながら高貴な方々とつながりを持って、いずれ賢子の役に立てたいと思っている、と説明しても母は女房としての仕事が楽しくて仕方がないのだと見抜いている賢子には、まひろの言葉は響きませんでした。やがて彰子は敦成親王を連れて内裏に戻り、彰子の戻りを待ちわびていた敦康親王(渡邉櫂くん)はすぐに藤壺に駆け寄ってきました。中宮・彰子を母とも姉とも慕う敦康は弟・敦成を見て、彰子が自分を可愛がってくれるなら自分も敦成を可愛がると宣言し、彰子ももちろん敦康は大事な敦康だと約束し、二人は微笑み合いました。そうしていると帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が藤壺に渡ってきました。彰子は帝への挨拶を済ませた後、実家の土御門殿で皆と作っていた源氏の物語の冊子を帝に献上しました。冊子を手にとった帝はそのあまりの美しさにたいそう感激し、これは彰子が帝のためにしつらえた、彰子が紙を選び製本に彰子も参加したとまひろが説明すると、帝は彰子を愛おしそうに見つめて彰子に喜びを伝えました。*この冊子づくりについての解説が番組の公式HPに出ています。をしへて! 佐多芳彦さん ~彰子が発案! 紫式部も行った『源氏物語』の冊子づくり ⇒ ⇒ こちら まひろが書く源氏の物語をすっかり気に入っている帝は、これを藤壺で読み上げる会を開いてはどうかと提案、後日、藤原公任(町田啓太さん)や藤原斉信(金田哲さん)ら主だった公卿が藤壺に招かれ、会が催されました。物語の中には帝がよく読む『日本紀』も出てきて藤式部(まひろ)はこのような知識もあるのかと斉信や公任は感心し、二人が小声で私語するのを聞いた帝には藤原行成(渡辺大知さん)が当たり障りなく場をつくろっていました。帝は源氏の物語を、女ならではの観点に漢籍の素養も加わりこれまでにない物語であると褒め、このことが人々の評判を呼んで、彰子の藤壺をいっそう華やかなものにしていきました。しかし藤壺の繁栄は、亡き中宮・定子の身内であり、定子が産んだ敦康親王の血縁でもある藤原伊周(三浦翔平さん)らには面白くないことでした。伊周の叔母の高階光子(兵藤公美さん)は、このままでは敦康が左大臣・道長に追いやられてしまうと危惧し、伊周の嫡妻・源幾子(松田るかさん)の兄である源方理(阿部翔平さん)も今の帝は道長に逆らえないと考えていました。幾子は兄に、帝の計らいで伊周の位を戻してもらえた今は騒ぎを起こさぬように言い、伊周も急いては事を仕損じると考えていました。しかし伊周はそう言いつつも、裏では道長への呪詛をひたすら続けていました。ある晩のこと、内裏の藤壺に盗人が押し入り、寝ずの番をしていた女官たちが襲われて衣をはぎ取られるという事件が起こりました。その夜、物語を書いて遅くまで起きていたまひろが女官たちの悲鳴を聞いて駆けつけ、盗人たちは逃げていきました。その報告を聞いた藤原道長(柄本佑さん)はすぐに娘の彰子の元を訪れて安否を確認し、いっそう警護を増やしました。一方、まひろには昨夜のことを訊ね、まひろは彰子が女官たちをいたわって自ら袿を与え、その姿は上に立つ者の威厳と慈悲にあふれていたと道長に伝えました。道長はまひろに、これからも彰子と敦成親王をよろしく頼むと言ったのですが、その折に帝の第一皇子の敦康親王ではなく、彰子が産んだ自分の孫の敦成親王が次の東宮になると、まひろに口を滑らせてしまいました。まひろはもちろん他言しないものの、重大な話を聞くことになりました。年が明けて寛弘6年(1009)1月、帝は伊周に正二位の位を授け、これにより伊周は道長と同じ位で大臣に準ずる地位になりました。伊周は挨拶の中で、自分は帝の第一皇子の敦康親王の(伯父であり)後見であり、道長は第二皇子の後見であることをあらためて強調しました。周囲の公卿たちは、伊周の強気は上に立つ道長のゆとりであろうと評判、一方で道長の政権を支える決意をしている藤原公任は、伊周の弟で今は道長を支持している藤原隆家に、兄の伊周に何か動きがあればすぐに知らせよと命じていました。