うたかたなもの。学校でiPadひと月経ちました。
みなさま こんにちわん。雨がそぼ降るオランダの空を眺めながら書いています。降ったり止んだり。晴れたり曇ったり。風が吹いたり止んだり。日本はいかがでしょう?太郎は元気ナノカ。ずっと前、夏休み前に この日記で「息子の学校が新学期から生徒全員にiPadを強制的に持たせる」という驚愕の指導要綱をぼやく、みたいなことを書いたんですけど、その新学期が始まっておよそひと月が経ちました。この「一人に一台授業でiPad」という事については その後もいろいろ賛否両論の意見を頂戴し、なかなか参考になったのですが、実際のところ、やー、いろいろ ありまして。簡単なところで言えば、ひとつ。「持って行くのを忘れる」こと二回ほど。(持って来て、と電話があったけど、二回目は行かなかった。痛いメにあわないと学習しないから)ひとつ。「うまく作動しなかったとかで、小さな宿題一つに何時間もかかった」(手でやればわずが30分程度の量なのに。。。時間が飛ぶように過ぎて行く)学校から帰ると、部屋に直行し、iPadを使ってずーーーっと宿題。iPadを使うと一見 作業が早いように思えるけれど 実際はそうでもなくて時間がかかるというよりか、時間があっという間に過ぎて行くとそんな感じ。確かに、私もPCの前に座っていると ハッと気がつくと「アラもうこんな時間」ってなことが多々あり。更に言えば我が家は、勉強以外にiPadは使わないように、使えないように管理して遊びでは、家のパソコンをリビングで使うようにしているのだけど、お友達のなかには、メール、FB,SKYP,ゲームなどでも利用している様子。なので、授業中にゲームして厳重注意を受ける子やせっかくの休憩時間なのに、各自それぞれがiPadに向かってなんかやってたり、危惧した結果を聞いてしまうとなんとなく残念な気持になります。ちょんちょんと指を動かしスクリーンを見つめながら勉強している息子を見ると「それが時代」と 言われても なんだかなーと思ってしまい手を使って何かを仕上げる面倒くささを味わっておかないといけないのじゃないか、とやっぱり思ってしまい、FaceBookをやる前に、今目の前にいるほんまものの友達と遊べばいいじゃないか、と思ってしまい、「老眼早よ来るで」と どうでもエエことまで心配してしまい。。。で、そんな折、今読んでいる 椎名誠さんの「大きな約束」という本のこんな一節。「家族が揃って食事をするありふれた風景は じつはほんのうたかたのものなのだ」じーーーん。ほんとに。。。ありふれた風景や光景のありがたさ。過ぎてしまわないと分からない事なのかもしれないけれど。。家族が揃って食事をするありふれた光景と同じように今、ここにいるリアルな友達や何気ない日々の時間を見逃さないでと思わずにはいられません。ありふれた食事の風景なり。なつかしい。。てなわけで。いつもありがとう。人気ブログランキングへ にほんブログ村