バルザック 『ジャーナリズム性悪説』
ジャーナリズム性悪説評価:★★★★☆ 祖国の名をかたってかなり恥ずべきことも平気でする人間が人格者に祭りあげられることもあるし、逆に政府の最も理にかなった行動がナンセンス扱いされるケースもしばしばである。さらにはなにをやらしても無能で頭の空っぽな大法螺吹きが政治家になりおおせることもある。(P64より) 絶版らしく、楽天に在庫がなかったので、Amazonへのリンクはりました。ちなみにAmazonでも中古しか取扱ないうえ、価格も倍近くに跳ね上がってます。ちくまのわりには(笑)本書は素晴らしいと思うのですが・・・絶版とはもったいない。復刊切に希望します。絶対売れると思うけどなーーー。 非常におもしろい。バルザックの生きた時代のフランスジャーナリズムについて、精緻な分析がされている。アイロニックな表現、諧謔を弄した文章でありながら、鋭く核心をついているところは圧巻です。 バルザックが批判する、当時のジャーナリズムの構造。つまり、議員は新聞にたたかれることを恐れ、新聞社の顔色をうかがう。新聞社は、いかに購読者を増やすかのみに腐心し、国益なんぞなにも考えない。というものだ。これは今の日本にもあてはまる。時代も国もこえてなお同じ状況というのは何とも皮肉というか進歩がないというか・・・。 現在は新聞だけでなくテレビもあるだけになおその悪影響は計り知れないものになっている。票をとるためだけに、後昆のことを一切考えない姑息な政策ばかりを声高に叫ぶ議員。自分たちの思惑を通すために情報を恣意的に使ったり、ねつ造したりし、国民を欺くマスコミ。それを鵜呑みにして踊らされるばかりの馬鹿な国民。愚民が多い故、彼らはマスコミを信じる。マスコミはそれを知っているから、輿論を作るのは自分たちだと驕慢になり、社会の木鐸を標榜して議員に高圧的な態度に出る。議員はマスコミを敵に回さないように腐心し、マスコミ受けすることばかり言うようになる。なんと馬鹿げた構造か。バルザックの時代からなにもかわっていないどころか、さらに悪化しているではないか。 この愚かなループから抜け出すには、我々国民が賢明になるしかない。マスコミの垂れ流す情報を鵜呑みにし、それのみを判断材料とするような受動的な姿勢ではいけない。自ら能動的に動き、様々な知識を持つことが肝要だ。そうすれば本当に国のことを考えている政治家は誰なのか?国のためになる政策はどれか?正しい判断ができるようになるはずだ。国民が賢明になれば、馬鹿なマスコミにだまされることはなく、反対に愚かなマスコミを駆逐し、本当の意味でのジャーナリズムを涵養できる。そして、健全なジャーナリズムが育てば、ジャーナリズムに阿るような政治家は消え、本当に日本国のことを考える政治家が堂々と出てこられる。 こんな当たり前のことが正常に機能するようになるのも現在日本ではなかなか困難であろう。ただ、私たち一人一人が賢明になるよう努力すればいつかはその努力が結実する。そう信じたい。=== 36冊目 読了 ===