谷崎潤一郎 『春琴抄』
春琴抄評価:★★★★★ --- 梗概 -------------盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の著点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を弟子の利太郎に傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するために自ら盲目の世界に入る。単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。(裏表紙より)-----------------------先日、『帰れま10』で洋麺屋五右衛門が取り上げられてて。めっちゃおいしそうーー♪うちの近くにはないのかな?と調べたら・・・すんごい近くにありました(笑)しかも、週に何度も通る道沿いに(笑)どんだけ私って周囲に目が行ってないんだろうか・・・。 ページ数にしてわずか80ページ足らず。にもかかわらず、読み終えた後の心地よい疲労感。素晴らしいです。非常に深遠な物語です。 有体な説明をすれば、主人の春琴を慕う奉公人佐助が深い愛でその身を犠牲にしてまで愛し続けるって話なんですが。これじゃ皮相的な理解にすぎないと思います。これは決して佐助の、己を犠牲にした献身愛を描いたものではない。むしろ逆に、佐助のエゴイステックな愛の物語と言った方がまだ正鵠を射ているのかもしれない。 佐助は、自らの美貌に自信を持ち、高慢な態度で接する主人の春琴が好きなんです。女主人春琴にぶたれたり、なじられたりして恍惚としている。しかし、春琴はある時その美貌を奪われてしまう。自信を失くし、かつての高慢さを失う春琴を見たくないがため佐助は自分の目を突き盲目となる。こうして彼は永遠に自信に満ち溢れ高慢な春琴を手に入れることに成功するのです。その後も奉公人という立場を決して譲らず献身的に春琴を世話する佐助。これって自己犠牲の献身愛に傍からは見えるんだけども、実際は、佐助は被虐的立場にその身を置くことが快感でたまらなく、佐助自身の喜びのためにやっていることなのだと思う。後年、結婚をしたがらなかったのが春琴ではなく佐助であるという描写があり、その中で佐助の被虐趣味が窺知できる。この描写からも、佐助は決して主人への愛のためだけに献身してきたのではないということがわかる。 春琴の方は大分気が折れて来たのであったが佐助はそう云う春琴を見るのが悲しかった、哀れな女気の毒な女としての春琴を考えることが出来なかったと云う畢竟めしいの佐助は現実に眼を閉じ永劫不変の観念境へ飛躍したのである彼の視野には過去の記憶の世界だけがあるもし春琴が災禍のため性格を変えてしまったとしたらそう云う人間はもう春琴ではない彼は何処までも過去の驕慢な春琴を考えるそうでなければ今も彼が見ているところの美貌の春琴が破壊されるされば結婚を欲しなかった理由は春琴よりも佐助の方にあったと思われる。佐助は現実の春琴を以て観念の春琴を喚び起す媒介としたのである(略)(P70より) ・・・なんとも深い。色んなエッセンスがギュッと凝縮されてきれいにまとまり、一つの物語になっている。様々なテーマを絡ませながら物語へと昇華させる。繊細な感性が織り成す美しい布のようです。読んでいるだけで、柔らかく心の襞に触れられているような感じがするほど。すーーっと脳に言葉がしみ込んでくる。表現法、言葉選び、すべてが完璧なんです。何もかもが。さすがは文豪谷崎潤一郎って感じです。感無量。間然するとこなし!! 今度は『細雪』に挑戦したいなーー(*´∀`*)=== 11冊目 読了 ===