「宮古島の大地に抱かれて・・・ その3 伊良部島編」
翌日、伊良部島に向かいました昨日の晴天から一変。今日から宮古島の天気予報は帰る日まで雨なんと、この日から沖縄地方が梅雨に入りました。 そんな中、伊良部大橋を渡っていると、伊良部島に向かって左側に曇り空で雲に覆われているその中に大きな龍神さまのお顔の雲が・・・その龍神さまは、伊良部島の方向を向いているのです。雲の中に雲で形作っていたので、わかりずらいのですが確かに龍のお顔をしています。まるで、こっちだよと案内してくれているのか、お迎えにきて下さったのか初伊良部島来島の私ですので、方向が全然判らないから助かりました 目指すは、通り池・・・ そこは、観光スポットなので大勢の方々が訪れます。雨がポツポツと降ってきました。駐車場に着いて、早速通り池に向かいます。雨は止んでいました。私の感では、今回私を呼んでいる場所は「通り池」ではなく「鍋底」といわれる場所。地元の方に案内をお願いしたのですが、その方は北海道にご神事に行っており無理でした。「鍋底」は「通り池」の近くにあるようですが、場所がいまいち判りません。仕方がないから、「通り池」でいいいかなと思っていたら、インターネットで、「鍋底」へ行く道順が書かれたサイトへとたどり着きました。やっぱり、「鍋底」に呼ばれているのか・・・ 通り池に向かって歩いていると、通り池の奥の方からそう「鍋底」といわれている場所の上空から、突然「ゴロゴロ・・」という雷鳴が・・・それも、1回だけ鳴ったのです雷=神なり=龍神 こっちだよと教えているみたい。その雷鳴が鳴った方に歩いていくと、ありました・・・しずくを呼んでいた「鍋底」が・・・・鍋底は、地元の方たちには「龍の子宮」で「生まれ変わりの場所」であるといわれています。駐車場に着いたときは、風が吹いてなかったのに風が吹き始めていました。早速、目を瞑り意識を鍋底に集中させました。メッセージがハートに聞こえてきました。 ようやっと来たな。よう~やっと来たな(ずっと待っていたのだなと感じました) そなたに、私のパワーを授けるゆえ、しばし、そのままでいられよ・・・ すると光が現れました。赤のようないやどちらかというと朱色に近い淡い赤その周りには薄い黄色の光が見えます。その光が次第に淡い朱色の赤一色になり、それから次第に薄い黄色黄白色一色になり、最後はまた、両方の色の光が現れたのですが、その色はもっと淡い色へと変化し白に近い状態になりました光と共に、温かいとても優しい波動に包まれました。女神さまのような、お母さんに抱かれているようなそんな波動・・・しずくをとても愛おしんで抱きしめてくださっているそんな波動・・・まるで子宮の中で、胞衣(えな)に包まれ、とても大切に生命が育まれている感じでした 光が消えた時、すべてが終了しました。龍神さま、ありがとうございました 帰る道中、ホテルに立ち寄りお土産コーナーを見ていたら一枚の絵ハガキがしずくの目に飛び込んできました。そこには、3体の龍(赤・白・緑)が描かれていて、赤龍の手に黄白色の玉を持っています。その赤龍は、鍋底から出てきたように描かれています。空は、曙・・・太陽が地平編から、登り始めた日の出・・・その題名は「美の再生 曙の女神アウロラ」 しずくが見た光の色と同じような色で描かれた赤龍と玉そして、しずくが感じた女神のエネルギーあれ、なんで似ているんだろう 不思議だな~女神アウロラさまとは・・・ 説明書きを一部抜粋させていただきます。 曙とは、夜がほのぼのと明ける頃で、夜空がほのかに明るんでくる頃。 曙の女神アウロラは、太陽神アポロと月の神セレネを兄弟にもち、 光輝く夜空の星々のように、美と純粋な愛を追及していました。 夜から朝を迎える曙、まるで光のカーテンを開いて、新しい幕開けの時を感じさせます。 今迄の物事は終わらせて、まったく新しい物事へと向かう意識。 月のエネルギーは女性性を表し、新しい命を生み出します。 その月のエネルギーから産まれた女神アウロラ。 その命は、大空を優雅に美しく七色に変えていきます。 龍神の持つ玉光は大神島。その光はあなたの真実の輝く宝、 心にある美しいオーロラです。 ここ伊良部島では、大生命そのものと大愛そのもののエネルギー(波動)を受け取りました。そして、石庭では大いなる無限の宇宙エネルギー。これで、しずくに聞こえてきたあのメッセージの意味を体感し理解しました。 無限なる宇宙の大生命のエネルギー・・・・ 次ページで、写真を2枚掲載します。一枚は、雲の中に現れた龍神様のお顔・・・判りずらいと思いますが。もう一枚は、通り池・・・最初に見たときは怖かったけど最後に寄ったら、愛の波動で満ち 溢れていました(通り池は2つあり、地元では龍の目と言われてます)鍋底は写真にとってはいけない場所だと地元の方が言っていたので、撮りませんでした。(その理由はとても神聖な場所であるからとのことです) すべては大生命に満ち溢れているなり・・ 我も生命なり・・・